楽器を学んでいくための基本的アプローチについて

日本とアメリカでの打楽器や音楽を学んでいく、アプローチ方法の大きな違い

ドラムの話で言うと、よくちまたで聞くのは、ゴスペルチョップのやり方や、モーラー奏法のやり方などを含め、それらのパターンやテクニックそのものを完璧に極めることを、目標設定としている人が非常に多い。
実際のところ、このようなテクニックは、あくまで楽曲を輝かせるための道具にしかすぎなくて、目標ではない。

このように、何でもかんでも、身体的技術で全て乗り切れると考えている音楽家が増えたことに関しては、そもそもの日本での音楽教育のやり方が、恐ろしく時代遅れなことも原因である。
逆の言い方をすると、むしろ日本は身体的なテクニックに関しては、世界一と言っていいくらいすごい。
それゆえに、非常に大きな問題は、音楽の中でその楽曲に合う使い方を理解している人が少ないという点である。

私自身も若い時に、テクニックには自信がある状態で、アメリカに渡米したわけだが、初めての演奏の仕事で、楽曲の中では、自分が学んだパターンやフレーズはなんの役にも立たなかった。要するに、せっかくたくさん引き出しにしまっておいた道具の使い方を理解していなかったわけだ。

 

生徒の個性を潰してしまうアプローチ

講師が生徒へレッスンをしている時によく見る、重大な間違えの1つは、身体的技術を教えるタイミングである。
楽器をやり始めた時に、スティックの持ち方を教えることが、最大の音楽(打楽器)教育の間違いだと思われる。
アメリカでは、一流のドラマーが初心者のドラマーをレッスンする際に、スティックの持ち方を教えているところなど見たことがない。
あまりにも手を痛めてしまうような持ち方や、自分の出したい音を出せないような持ち方をしている時には、何らかのシステムを教えるわけだが、まずそもそもその人がドラムで、音色なども含め、どういう表現をしたいのかが先決だ。
「こんな感じのことを叩きたい」という風に、生徒が軽く叩いてくれる時には、ほとんどの生徒が、それに見合った、楽と感じる持ち方を自然にしているものだ。
まず生徒の頭の中でのイメージを尊重する必要がある。

始めてから少しの間は、素直に叩くという行為を楽しむために、好き勝手に感じるままに叩きこむのが良い。
当然、基礎的な技術や理論も必要にはなるが、一番最初に、親指と人差し指をバランスポイントにして、握るということだけを植え付けてしまうと、どんなシチュエーションでもそれを実行しようとしてしまうのが、人間の性質である。

それに対して、スティックの握り方のアプローチのみを生徒に伝える教え方だと、「細かく小さな音量のストロークをやる時は、親指と人差し指をバランスポイントにして握るほうがコントロールしやすいが、もしある程度の音量で速いストロークをやる時は、リバウンドを大いに活用しなければいけないので、親指と中指をバランスポイントにしたほうが、スティックが倍ほどリバウンドするので有効だ」、というように、特定のやり方を教えるのと同時に、そもそものアプローチの仕方を最低2つ、そして、こういう時に使う・役立つというシチュエーションを生徒に伝えない限り、生徒の個性の放出口を塞いでしまう。
特定のやり方をどう使うか・・・というところが、一番生徒の個性が際立つポイントである。

特定のやり方だけを徹底的に教えるのではなく、これに加えて、アプローチの仕方を徹底的にレッスンするから、生徒の個性が出てきやすく、創造力も育つ。
なおかつ、表現に直接つながる。

 

普段の基礎練習の目的

このように、身体的テクニックや、昨日学んだフレーズをきちんと実行するということだけに神経がいってしまうと、特に打楽器で必要となる、感じるという行為をしなくなってしまう。
特に現代社会では、インターネットの普及などで、ちょっとリサーチをすれば何でも情報が手に入る時代のため、ネット上で出てきた情報に頼りがちな部分が大きい。
そのため、自分で感じて、自分の体に合うやり方を見つける作業を見落としがちになっている。
自分が気持ち良い感覚や、やりやすいと感じた方法も受け入れていかないと、日本文化特有の、周りと同じ、個性のないドラマーになりやすくなってしまう。

Spontaneous(スポンテニアス)という言葉をよく使うが、自発的・衝動的・自然にという意味合いがある。
例えばドラムソロをやる時、最初から最後の小節まで、叩くことを完璧に決めてその通りにやろうするより、その時に頭に浮かんだメロディーを基盤に、浮かんだことを自由に叩く方が、感情的で音楽的で、見ている側も楽しめる。
もちろん、頭に浮かんだことを即座に手先まで伝達させて、思い通りに手足を動かすのはすごく難しいことだが、実はそもそも普段やっている基礎練習は、それを出来るようにするための練習である。

ただ単に特定のフレーズを出来るようにすることだけをゴールに設定するのは、そもそもの基礎練習の目的がまったく違ってしまうので気を付けたい。

 

ジャンル分けの不要さ

ドラマーを見て、色々と学ぶ時があるが、実際にはこういうポイントを見ている。

例えば分かりやすい例として、Dennis Chambers氏や、Aaron Spears氏を挙げてみる。
あの強烈な高速タム回しなどのチョップや、Aaron Spearsなら、ゴスペルチョップのスピードと手順だけに注目しすぎだが、一方で、本人もそもそもの音楽の基本である、Pulseの感じ方やグルーヴ感、フィールに関して、きちんと意識をして理解をした上であのような魅せることをやっているわけだ。
実際にロサンゼルスで、Dennis氏本人と会話した時にも、とにかくどうやって4分音符のPulseをしっかりと、強く感じるかが一番重要だと力説していたのをよく覚えている。

Dennis Chambers氏に関しては、P-Funkのバックでやっている時のプレイを聞けば一目瞭然のように、Pulseの感じ方をすごく大切にしていることはすぐ分かる。
特に4分音符の力強さを聴いていると、自然とリスナーの体も踊ってくる。

また、Show Offという表現をよく使うが、良く魅せるという意味だが、あのような高速チョップは、あくまでもその人の個性を表現するアイテムにしか過ぎないので、Show Offしても大丈夫な場面を見極める必要がある。
それはメロディーの切れ間だったり、楽曲の中で最高潮のポイントだったりするが、四六時中、音楽の中で使うことは出来ない。
これらの事柄が基本中の基本で、一番重要なことは、日本風に言う、場をわきまえるということになる。

Dennis Chambers、Vinnie Colaiuta、Dave Weckl、Steve Jordan、Omar Hakimなど、世界の一流と言われるドラマーは、音楽に必ず必要なタイム、グルーヴが気持ち良い上に、自分のボキャブラリーを、違和感なく音楽に合うシチュエーションで入れてこれるという点が一流なわけだ。
足の2打打ちが速い、タム回しが速いから一流・・・というような、非音楽的な解釈を避けたい。

 

リスニングに関して

音楽を聴くということは、楽器の練習の一部であり、むしろ最も重要と言っても過言ではない。
結局は様々なタイプの音楽から、ヒストリーを学ぶことができ、自分のドラミングに繋がる様々な有効な情報が手に入る。
(Reference(参照物)と呼ぶ)

実際のところは、自分の好きなジャンルやバンドしか聴かないことが多いと思う。
プロフェッショナルスタンスの人間でも、こういうタイプの人が多いと感じるので、日本の場合は特に、他でも説明した通り、音楽そのものを好きな人がそもそも少ない。
芸術が日常生活の一部になっていないというところがそもそもの重大問題でもあり、そのような環境下では、音楽そのものよりも、歌詞や、その人間自体が好きであったり、というところからしか音楽という物体に入り込めなくなる習性になる。
これに関しては否定はしないが、プロフェッショナルとしてお金をもらう立場人間の場合は、様々なスタイルの音楽を聴いて消化するべきだ。

そのため、ドラムに関しても、ドラムそのものにしか興味がなく、音楽の中にあるドラムという見方が出来ない人が非常に多いと感じる。

自分自身の場合は、思い浮かぶドラムのフレーズは、たいていの場合、例えば、マイルス・デイヴィスのトランペットソロのフレーズから浮かんだアイデアや、ルーサー・バンドロスの歌のメロディーラインから影響を受けて浮かんだアイデアや、ドラム以外のところから影響を受けて、浮かんでくるものの方が圧倒的に多い。
自分のメインの楽器以外の楽器奏者の、業界のレジェンドを研究することが非常に重要となる。

続きを読む …