ゲストリストについて

 

日本のライブハウスや音楽イベントで「ゲストリスト枠がない」ことは、音楽と一般生活の距離を広げる一因です。

以下に、その背景にある詳細な要因と、改善のための具体策を整理しました。

 

・ゲストリスト枠を作らない主な要因

1. 収益構造の脆弱さ

  • ライブハウスやイベント主催者は、チケット収入が主な収益源であり、1人でも有料入場者を増やしたいという切実な事情がある。

  • ゲスト枠を設けると「売上が減る」と考えられがちで、短期的な損失回避が優先される。

2. 日本的な「公平性」へのこだわり

  • 「全員が同じ条件で入場するべき」という均質性の文化が根強く、特別扱いを避ける傾向がある。

  • ゲスト枠があると「不公平」「身内びいき」と受け取られる懸念がある。

3. 運営側のリスク回避志向

  • 無料入場者が増えると、混乱やトラブルの原因になると考えられている。

  • ゲスト管理の手間や、誰を入れるかの判断基準が曖昧になることを避けたい。

4. インディーシーンの余裕のなさ

  • 小規模バンドや自主企画イベントでは、予算も人手も限られており、ゲスト枠を設ける余裕がない。

  • 「全員がチケットを買って応援してほしい」という精神的な支えへの期待もある。

 

・ゲストリスト枠を作るための具体策

1. 「プロモーション枠」として明確化する

  • ゲスト枠を「宣伝・拡散目的の招待」と位置づけることで、公平性の懸念を緩和できる。

  • 例:SNSでライブ告知をしてくれる人、レビューを書く人、メディア関係者などに限定。

2. 枠数を明示し、事前申請制にする

  • 「ゲスト枠は3名まで」「申請は○日前まで」とルール化すれば、運営の負担を軽減できる。

  • 透明性が高まり、他の観客からの不満も抑えられる。

3. ドリンク代のみ徴収するなどの工夫

  • 完全無料ではなく「1ドリンク制」などにすることで、最低限の収益を確保しつつ、敷居を下げられる。

4. ライブ後のフィードバックや拡散を条件にする

  • ゲスト入場者に「感想投稿」「写真共有」などをお願いすることで、宣伝効果を最大化できる。

  • 単なる「タダ見」ではなく、価値交換型の参加にする。

5. ライブハウス側との協力体制を築く

  • バンド側がライブハウスと交渉し、「ゲスト枠の意義」を説明することで、柔軟な運営が可能になる。

  • 特に平日や集客が難しい日程では、ゲスト枠が集客の呼び水になることもある。

 

まとめ:ゲスト枠は「文化の裾野」を広げる装置

ゲストリスト枠は、単なる「無料招待」ではなく、音楽と人々の距離を縮める文化的なインフラです。
適切な運用と目的意識があれば、ライブ体験の間口を広げ、音楽シーン全体の活性化につながります。

にもかかわらず、こうした時代遅れの運営体制に固執しているせいで、才能ある音楽が偶然に発見される機会が失われ、結果として「良い音楽が世界に出ていかない」状況がいつまでも続いています。

これは単なるライブ運営の問題ではなく、日本の音楽文化が国際的に埋もれてしまう構造的な問題でもあります。

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日本において音楽が日常生活から遠く感じる要因

1. ライブ文化の閉鎖性と経済的ハードル

  • 完全チケット制が主流:多くのライブハウスでは、ゲストリスト枠が一切なく、知人でも無料で入れないことが多い。

  • 価格設定が高め:知らないバンドを見るために4,000〜5,000円払うのは心理的ハードルが高く、偶然の出会いや「試し聴き」が起こりにくい。

  • フリーエントリーの文化が希薄:欧米のように「1ドリンクで入場可」「早い時間は無料」などの柔軟な運営が少ない。

少なくとも数枠のゲストリストを設けることで、音楽との偶然の接触機会が増え、文化的な裾野が広がる可能性があります。

 

2. 公共空間での音楽体験の乏しさ

  • ストリートライブやバスキングの規制:許可制が厳しく、自由に演奏できる場所が少ない。

  • 公園や駅前での音楽禁止:騒音とみなされることが多く、音楽が「迷惑行為」とされがち。

  • 音楽フェス以外の場が限られる:日常的な空間で音楽に触れる機会が少なく、特別なイベントに限定されがち。

 

3. 教育やメディアの影響

  • 音楽教育が「鑑賞型」中心:自分で演奏したり、即興で楽しむ文化が育ちにくい。

  • メディアの商業偏重:テレビやラジオでは大手事務所のアーティストばかりが流れ、インディーや実験的な音楽が世間一般に届きにくい。

 

4. 都市構造と時間感覚

  • 通勤・通学が忙しく余裕がない:音楽を聴く時間が「移動中のBGM」に限定されがち。

  • 住宅事情で音楽が制限される:集合住宅では楽器演奏が難しく、音楽が「家で楽しむもの」になりにくい。

 
これらの事例は、日本において音楽を含む芸術全般が、日常生活と密接な関係に無いことを象徴している。
 

どうすれば音楽がもっと身近になるか

  • ライブハウスがゲストリスト枠を設けることで、偶然の出会いや口コミが広がる。

  • 公共空間での演奏許可の柔軟化や、地域イベントでの音楽導入。

  • 学校教育での即興・創作型音楽体験の導入。

  • メディアが地域アーティストやライブ情報を紹介する枠を持つ。

 

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日本で意識されにくい「2拍目・4拍目」の重心

リズム感覚の文化的ギャップを考える

音楽における「ノリ」や「フィール」は、単なる技術ではなく、文化や言語、身体感覚に深く根ざしたものです。
特に日本人が洋楽を演奏する際、「リズムの重心」の違いが大きな壁となります。
欧米のポピュラー音楽では当たり前とされる「2拍目・4拍目」に重心を置く感覚は、他国で生活でもしない限り、なかなか自然に身につかないのです。

 

表拍と裏拍 -リズムの感じ方の違い

多くの日本人は、1拍目と3拍目、いわゆる「表拍」にリズムの基準を置いています。
これは、童謡や学校教育で親しんできた音楽、さらには日本語の言語リズムの影響が大きいと考えられます。
日本語はモーラ(拍)単位で構成され、強弱のアクセントが少ないため、英語のような「跳ねる」リズムが身体に馴染みにくいのです。

一方、欧米の音楽では、2拍目と4拍目、つまり「裏拍」に重心を置くことで、グルーヴやスウィング感が生まれます。
この感覚が自然に身についている欧米のミュージシャンにとっては、裏拍を感じることは無意識のレベルで行われています。

 

日本人ミュージシャンは演奏中に何を意識しているのか

不思議なことに、日本では音楽に一番重要なリズムの重心という話が通じにくい傾向が高いため、演奏中に重心のことやグルーヴ・フィールなどに神経を使ってないように見えます。
では、日本人の演奏者は一体演奏中に何に集中しているのでしょうか。

以下のような傾向が見られます。

  • メロディと歌詞の情緒表現:特に歌謡曲や演歌では、歌詞の意味や感情の伝達が重視され、リズムよりもメロディラインに意識が向きがちです。

  • 音程の正確さ:ピッチの安定性やハーモニーの整合性に強い関心が払われます。

  • 拍の安定感:1拍目をしっかり感じることで、構造的な安定を得ようとする意識が強く働きます。

 

なぜ裏拍の重心が身につきにくいのか

文化的背景:和楽器や伝統音楽では「拍」よりも「間」や「流れ」が重視される。

教育環境:学校教育ではクラシックや童謡中心で、裏拍のグルーヴを体感する機会が少ない。

身体感覚の違い:表拍でリズムを取ると「沈む」感覚、裏拍では「跳ねる」感覚になるが、前者の方が自然に感じられる人が多い。

 

裏拍を感じるための実践的アプローチ

このギャップを乗り越えるには、以下のようなアプローチが有効です。

  • ダンスや身体表現の導入:身体を使ってリズムを感じることで、理屈ではなく感覚として裏拍を体得する。
  • 英語のリズムを学ぶ:英語の強弱アクセントを音楽的に捉えることで、裏拍の感覚が自然に身につく。

最後に -「ノリ」は文化を超えるか

リズムの重心に対する感覚の違いは、単なる技術の問題ではなく、文化的・言語的背景に深く根ざしています。
しかし、それを「越える」ことは不可能ではありません。
むしろ、意識的なトレーニングと身体的な体験を通じて、異なるフィールを自分の中に取り込むことは、音楽家としての表現の幅を広げる大きなチャンスでもあります。

 

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楽器を学んでいくための基本的アプローチについて

日本とアメリカでの打楽器や音楽を学んでいく、アプローチ方法の大きな違い

ドラムの話で言うと、よくちまたで聞くのは、ゴスペルチョップのやり方や、モーラー奏法のやり方などを含め、それらのパターンやテクニックそのものを完璧に極めることを、目標設定としている人が非常に多い。
実際のところ、このようなテクニックは、あくまで楽曲を輝かせるための道具にしかすぎなくて、目標ではない。

このように、何でもかんでも、身体的技術で全て乗り切れると考えている音楽家が増えたことに関しては、そもそもの日本での音楽教育のやり方が、恐ろしく時代遅れなことも原因である。
逆の言い方をすると、むしろ日本は身体的なテクニックに関しては、世界一と言っていいくらいすごい。
それゆえに、非常に大きな問題は、音楽の中でその楽曲に合う使い方を理解している人が少ないという点である。

私自身も若い時に、テクニックには自信がある状態で、アメリカに渡米したわけだが、初めての演奏の仕事で、楽曲の中では、自分が学んだパターンやフレーズはなんの役にも立たなかった。要するに、せっかくたくさん引き出しにしまっておいた道具の使い方を理解していなかったわけだ。

 

生徒の個性を潰してしまうアプローチ

講師が生徒へレッスンをしている時によく見る、重大な間違えの1つは、身体的技術を教えるタイミングである。
楽器をやり始めた時に、スティックの持ち方を教えることが、最大の音楽(打楽器)教育の間違いだと思われる。
アメリカでは、一流のドラマーが初心者のドラマーをレッスンする際に、スティックの持ち方を教えているところなど見たことがない。
あまりにも手を痛めてしまうような持ち方や、自分の出したい音を出せないような持ち方をしている時には、何らかのシステムを教えるわけだが、まずそもそもその人がドラムで、音色なども含め、どういう表現をしたいのかが先決だ。
「こんな感じのことを叩きたい」という風に、生徒が軽く叩いてくれる時には、ほとんどの生徒が、それに見合った、楽と感じる持ち方を自然にしているものだ。
まず生徒の頭の中でのイメージを尊重する必要がある。

始めてから少しの間は、素直に叩くという行為を楽しむために、好き勝手に感じるままに叩きこむのが良い。
当然、基礎的な技術や理論も必要にはなるが、一番最初に、親指と人差し指をバランスポイントにして、握るということだけを植え付けてしまうと、どんなシチュエーションでもそれを実行しようとしてしまうのが、人間の性質である。

それに対して、スティックの握り方のアプローチのみを生徒に伝える教え方だと、「細かく小さな音量のストロークをやる時は、親指と人差し指をバランスポイントにして握るほうがコントロールしやすいが、もしある程度の音量で速いストロークをやる時は、リバウンドを大いに活用しなければいけないので、親指と中指をバランスポイントにしたほうが、スティックが倍ほどリバウンドするので有効だ」、というように、特定のやり方を教えるのと同時に、そもそものアプローチの仕方を最低2つ、そして、こういう時に使う・役立つというシチュエーションを生徒に伝えない限り、生徒の個性の放出口を塞いでしまう。
特定のやり方をどう使うか・・・というところが、一番生徒の個性が際立つポイントである。

特定のやり方だけを徹底的に教えるのではなく、これに加えて、アプローチの仕方を徹底的にレッスンするから、生徒の個性が出てきやすく、創造力も育つ。
なおかつ、表現に直接つながる。

 

普段の基礎練習の目的

このように、身体的テクニックや、昨日学んだフレーズをきちんと実行するということだけに神経がいってしまうと、特に打楽器で必要となる、感じるという行為をしなくなってしまう。
特に現代社会では、インターネットの普及などで、ちょっとリサーチをすれば何でも情報が手に入る時代のため、ネット上で出てきた情報に頼りがちな部分が大きい。
そのため、自分で感じて、自分の体に合うやり方を見つける作業を見落としがちになっている。
自分が気持ち良い感覚や、やりやすいと感じた方法も受け入れていかないと、日本文化特有の、周りと同じ、個性のないドラマーになりやすくなってしまう。

Spontaneous(スポンテニアス)という言葉をよく使うが、自発的・衝動的・自然にという意味合いがある。
例えばドラムソロをやる時、最初から最後の小節まで、叩くことを完璧に決めてその通りにやろうするより、その時に頭に浮かんだメロディーを基盤に、浮かんだことを自由に叩く方が、感情的で音楽的で、見ている側も楽しめる。
もちろん、頭に浮かんだことを即座に手先まで伝達させて、思い通りに手足を動かすのはすごく難しいことだが、実はそもそも普段やっている基礎練習は、それを出来るようにするための練習である。

ただ単に特定のフレーズを出来るようにすることだけをゴールに設定するのは、そもそもの基礎練習の目的がまったく違ってしまうので気を付けたい。

 

ジャンル分けの不要さ

ドラマーを見て、色々と学ぶ時があるが、実際にはこういうポイントを見ている。

例えば分かりやすい例として、Dennis Chambers氏や、Aaron Spears氏を挙げてみる。
あの強烈な高速タム回しなどのチョップや、Aaron Spearsなら、ゴスペルチョップのスピードと手順だけに注目しすぎだが、一方で、本人もそもそもの音楽の基本である、Pulseの感じ方やグルーヴ感、フィールに関して、きちんと意識をして理解をした上であのような魅せることをやっているわけだ。
実際にロサンゼルスで、Dennis氏本人と会話した時にも、とにかくどうやって4分音符のPulseをしっかりと、強く感じるかが一番重要だと力説していたのをよく覚えている。

Dennis Chambers氏に関しては、P-Funkのバックでやっている時のプレイを聞けば一目瞭然のように、Pulseの感じ方をすごく大切にしていることはすぐ分かる。
特に4分音符の力強さを聴いていると、自然とリスナーの体も踊ってくる。

また、Show Offという表現をよく使うが、良く魅せるという意味だが、あのような高速チョップは、あくまでもその人の個性を表現するアイテムにしか過ぎないので、Show Offしても大丈夫な場面を見極める必要がある。
それはメロディーの切れ間だったり、楽曲の中で最高潮のポイントだったりするが、四六時中、音楽の中で使うことは出来ない。
これらの事柄が基本中の基本で、一番重要なことは、日本風に言う、場をわきまえるということになる。

Dennis Chambers、Vinnie Colaiuta、Dave Weckl、Steve Jordan、Omar Hakimなど、世界の一流と言われるドラマーは、音楽に必ず必要なタイム、グルーヴが気持ち良い上に、自分のボキャブラリーを、違和感なく音楽に合うシチュエーションで入れてこれるという点が一流なわけだ。
足の2打打ちが速い、タム回しが速いから一流・・・というような、非音楽的な解釈を避けたい。

 

リスニングに関して

音楽を聴くということは、楽器の練習の一部であり、むしろ最も重要と言っても過言ではない。
結局は様々なタイプの音楽から、ヒストリーを学ぶことができ、自分のドラミングに繋がる様々な有効な情報が手に入る。
(Reference(参照物)と呼ぶ)

実際のところは、自分の好きなジャンルやバンドしか聴かないことが多いと思う。
プロフェッショナルスタンスの人間でも、こういうタイプの人が多いと感じるので、日本の場合は特に、他でも説明した通り、音楽そのものを好きな人がそもそも少ない。
芸術が日常生活の一部になっていないというところがそもそもの重大問題でもあり、そのような環境下では、音楽そのものよりも、歌詞や、その人間自体が好きであったり、というところからしか音楽という物体に入り込めなくなる習性になる。
これに関しては否定はしないが、プロフェッショナルとしてお金をもらう立場人間の場合は、様々なスタイルの音楽を聴いて消化するべきだ。

そのため、ドラムに関しても、ドラムそのものにしか興味がなく、音楽の中にあるドラムという見方が出来ない人が非常に多いと感じる。

自分自身の場合は、思い浮かぶドラムのフレーズは、たいていの場合、例えば、マイルス・デイヴィスのトランペットソロのフレーズから浮かんだアイデアや、ルーサー・バンドロスの歌のメロディーラインから影響を受けて浮かんだアイデアや、ドラム以外のところから影響を受けて、浮かんでくるものの方が圧倒的に多い。
自分のメインの楽器以外の楽器奏者の、業界のレジェンドを研究することが非常に重要となる。

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トラディッショナル・グリップ(レギュラーグリップ)について

トラディッショナル・グリップ(レギュラーグリップ) PHOTO by Miz Fukuda

~このブログでは、あくまで自分自身にはトラディッショナル・グリップが合っているということで、グリップの解説をしているもので、マッチ・グリップを否定する内容ではない。あくまで自分の体、自分の演奏スタイルやジャンルに合うグリップを自由に開発していくことがゴールとなる~

恐らく演奏中の90%はこの持ち方だ。すごく一般的な見解からすると、ジャズで多く使われてるグリップのため、ジャズ専門のプレイヤーだと思われがちだ。ただ実際のところは一切そんなことはない。

このグリップは、打面に対してスティックに角度をつけやすく、様々な音色を体の角度を変えずに楽に出せる。ジャンルを言い出したらきりがないので大きく分けて、主にジャズでは、スネアの音色は多数表現したほうが世界が広がる。

このグリップで構えた時には既に自然に、打面に対して少し角度がつく。もちろん必要であれば、打面と水平に構えることも可能だ。スティックのチップを、打面に様々な角度で楽に接地させることが可能なのだ。

あくまで、マッチ・グリップよりは少し楽に、そして広いバリエーションの音色を出せるので、トラディッショナル・グリップはジャズという音楽形態に合うグリップというだけである。

僕の場合は、ジャズ・ドラマーを見てトラディッショナル・グリップになった訳ではなく、実はジョー氏に弟子入りするかなり前から既にトラディッショナル・グリップで演奏していた。

それは単純に、ドラムを始めたきっかけとなった、ザ・ベンチャーズのオリジナルドラマー、メル・テイラー氏がトラディッショナル・グリップだったからだ。若い時に目にしたので、スティックはこうやって持つんだという単純な解釈だった。逆にドラムを始めてしばらくしてから、両手が同じ持ち方のマッチ・グリップの存在を知った。

逆にトラディッショナル・グリップの弱点は、Dead Stroke~デッド奏法~(叩いた後、打面にスティックを押し付ける奏法)で、長時間の演奏をする時には、たまに親指の付け根のところが痛くなるというところだ。

そのため、2時間以上のショーで、全曲このデッド奏法で演奏するのは厳しい時がある。ただあくまで、Dead Stroke~デッド奏法~は、音色の違いを表現するための1つの奏法なので、2時間中の全ての楽曲でこの奏法だけを使うことはほぼないので何とかなる。当然、リバウンド(跳ね返り)を受け止める通常の奏法と、Dead Stroke~デッド奏法~の両方を使い分ける場合がほとんどだ。

traditional grip

一般的には、トラディッショナル・グリップだとパワーが出せないと思われがちだが、一切そんなことはない。

トラディッショナル・グリップは、パワーを出せないグリップではなく、マッチ・グリップとは違う音色を出すグリップというだけである。あくまで音色の話である。

そして、トラディッショナル・グリップでパワーを出すという話題になると、“モーラー奏法(腕全体がムチのような動きをして楽してパワーを出す奏法)”というテクニックが関係してくる。しかし、実際的にモーラー奏法は使っても使わなくてもある程度のパワーを出すことは可能だ。

まずモーラー奏法は、自分に合うか合わないかを見極めることが大切だと感じる。全ての人間の演奏スタイルやジャンルにおいて、この奏法が合うわけではないので、場面によって役立つ時だけ使うようにするのが一番効率が良い。当然、モーラー奏法など一切使わないドラマーもたくさん存在する。それで問題ない。

何よりも、現代ではモーラー奏法に関する情報量があまりにも莫大なため、どれが正しいモーラー奏法かなど決めつけることは出来ない状況だ。あくまで、モーラー奏法の基準の要素は⇒体を痛めず、楽して、早く叩けたり、大きな音を出すことが出来る~という内容だ。

モーラー奏法では、上記の基準の要素を実行出来ているかどうかが重要となる。例え、モーラー奏法の基本と異なる手の動き方をしていても、基準の要素を満たしていれば、それをモーラー奏法と定義しようがその人の自由だ。

モーラー奏法の基礎的な部分の見解に関しては、このモーラー奏法を生んだドラマー、サンフォード・モーラー(Sanford A. Moeller)氏をリサーチしてみていただきたい。

 

モーラー奏法のパワーの面以外の要素としては、モーラー独特の手の動きによって、タイムを感じるというところだ。これによって、かなりタイムキープが気持ち良くなったりもする。

トラディッショナル・グリップで握っている左手で、8ビートのバック・ビート(2拍・4拍のスネア)を叩く時に、モーラー奏法の要素を含んだ動きを使って、その動きを一定の動き方に定めて繰り返しキープすることで、タイムキープの手助けをすることが出来る。

要するに、手の動かし方・動かすスピードでタイムを感じる実際に出してる音と音の間~(無音の)スペース~での手の動きを統一することで、タイムキープの手助けを出来るということだ。

これは、~Time by Motion Concept~、手の動きによってタイムを感じる・タイムを奏でるという考え方で、様々な国で多くのドラマーの間で着目しているコンセプトだ。

 

パワーの原理:

体の自然の原理を学んでいると、一般的にパワーを出すために必要な要素は以下の内容だと気付いた。言葉にすると難しく感じることもあるが、実際にやってみると意外と当たり前のことばかりなのでご紹介したい。

~パワーを出すために必要な4大要素~

①脱力~Release~

・最初にスティックを持ち、構える。そして、さあ叩くぞという時にどうするだろうか。物凄く小さな音量じゃない限り、スティックをある程度の高さまで振り上げてから、落として打面をヒットすると思う。この振り上げる時に、全ての力を抜く動作がRelease Motion~リリース・モーション~である。

肘から外側に少し開き始め、ほぼ同時に手首・指先まで脱力した状態で前腕を上げ、手首が下向きにダラ~ンとなるような感じになる。この時点では脇が少し開いてる状態で問題ない。

レギュラー・グリップの場合だとこの時、親指の爪が真上~右横を向き、手首が少し下に垂れ下がるような形になる。これがRelease Motion~リリース・モーション~で、モーラー奏法での1番最初の動作となる大事な動きでもある。この1番最初の段階で、全ての力を抜くことが重要となる。

②高さ~Height~(振り上げ幅)

・打面に対して、スティックを低いところから落とすのと、高いところから落とすのとでは、音量が違ってくる。それなりのパワーが必要な時は、当然その分スティックを高い位置から落とすことが必要不可欠になる。

ハイハットでビートを刻んでる時は、左利きやオープン・ハンド奏法(ハイハットを左手、スネアを右手で叩く奏法)のプレイヤーでない限り、左手の上を右手が交差するフォームになる。そのため、スネアを叩く時に左手を振り上げられる高さに限界が出てくる(左スティックと右スティックが衝突するため)。

ハイハットでビートを刻む際、どうしても左手の振り上げ幅を高く得たい時は、右手の脇を開き、ハイハットを少し自分と反対方向にずらして、遠ざけてセットしてみる。すると、右手と左手がカチッと衝突することを防げる。右半身だけ、一歩前に出てるような感じだ。

この奏法がしっくりこない場合は、もちろん通常のフォームでも問題ない。しかし通常のフォームだと、パワーが必要な時に、この~振り上げる高さ~という要素はフル活用出来ないので、その代わりとして、3番の~スピード~や、4番の~手の重量~などでカバーすればいい訳だ。

③スピード~Speed~(手首の回転の速さ、落下速度を含む)

・これもモーラー奏法と関わる話である。手首がねじれる・ひねるような感じで回転する。この回転の速度が速ければ速いほど、そして勢いがあればあるほどパワーに結び付く。回転が速ければ速いほど、自然に落下速度も増して、パワーに繋がる。

上記2番のスティックを振り上げる高さを得られない時に、この回転と落下の速さや勢いによってパワーを得る事が出来る。

④手の重量~Weight~

・これは1番でご説明した、脱力~Release~の動作の延長線上の話でもある。リリースの動作をするということは、必然的に手首や前腕も上に持ち上がる。そこから(3番で解説した手首の回転を経て)、腕ごと落下させてスティックが打面をヒットする。

スティックをそこまで高く上げられない時でも、リリースの動作を少し大きめにして、前腕や腕全体をある程度持ち上げられれば、スティックに腕の体重を乗せることが出来る。このように腕の重みもパワーの要素となる。

まとめると・・・

これらの要素の中で1番はほぼ必須で、自然に行っているが、1番にプラスして2番・3番・4番をその時よりけりで使い分ければすごく便利である。

例えばハイハットでビートを刻みながら、スネアでゴースト・ノートをたくさん入れるようなグルーヴで、スティックの振り上げ幅~高さ~の要素を得られない時は、~スピード~の要素を使う・・・など。

お気付きの通り、ほとんどのシチュエーションでは、スティックの振り上げ幅~高さ~を得られない時、~スピード~か~手の重量~どちらかの要素があればパワーは出せる。
とにかく、{ (1番) + 2番~4番のどれか1つ}という方式を実行すれば、必ずパワーを出すことは可能である。

 

*下記にトラディッショナル・ジャズドラマー以外で、トラディッショナル・グリップを多用するドラマーの方々の名前を挙げてみた。8ビートなどで2拍・4拍のスネアのバックビートをたくさん叩くような、ビートものの音楽もやるようなドラマーの方々の、左手の感じを是非チェックしてみてください↓

Will Calhoun
Keith Carlock

Vinnie Colaiuta
Stewart Copeland

Virgil Donati
Steve Ferrone

Steve Gadd
Rodney Holmes
Steve Holmes
Ralph Humphrey
Tommy Igoe

Daru Jones
Steve Jordan
Mark Kelso
Rick Latham
Jojo Mayer
Russ Miller
Nate Smith
Steve Smith
Todd Sucherman
Mel Taylor
Johnny Vidacovich
Charlie Watts
Dave Weckl
Steve White

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ドイツ・ROHEMA社のハイブリッド・スティックについて

最近まで、このような素晴らしい物があることに気が付かなかった事に罪悪感を感じるくらい本当に素晴らしいアイテム。簡単に言うと、スティックとロッズが合体して1本になった物だ。

まず通常のロッズとは、スティックとブラシの中間にあたる物。細い竹筒・ひごが数十本束になっている。実際の演奏では、スティックだと音量が大きすぎたり音質が硬すぎる時、ブラシだと音量が小さすぎたり音質が柔らかすぎる時など、音色・音量の両面でスティックでもブラシでも合わない時がロッズの出番となる。

このROHEMAのロッズ・スティックは1本のスティック上で、一方はスティック形状、もう一方がロッズ形状になっているため、1曲の中でまったく違う音質や音色、スティックではどうしてもつけられないダイナミクスなどを表現したい時にスティックからロッズに、またはロッズからスティックに持ち替える必要がなくなるという優れものだ。

楽曲の中で、スティックとロッズの間での音色変更を行う場面は山ほどあるので、全て説明しきれないが、すごくシンプルだが使用例を1つご紹介したい。

例えば、柔らかい声の女性ヴォーカルのバラード調のポップスで、AメロとBメロ(Pre-Chorus)では両手ともロッズ側で叩き、サビに移る直前の1小節中のどこかで、まず右手をスティック側に持ち替え、右手でフィル・インを叩きながら左手をスティック側にクルっと回して持ち替える。

そうすると、サビでは両手ともスティック側で叩くことになるので、AメロやBメロから比べてガラっと聞こえ方もダイナミクスも変えることが出来る。もしもシンバル系が少しうるさいと感じる場合は、もちろん右手だけロッズ側のままで進行しても良い。

この場合のクルっと回して持ち替える時のコツは、持ち替える直前の表拍(この場合2拍目)でオープン気味にしたハイハットを1発叩き、その拍の裏拍のタイミングでクルっと回すとやりやすい。そして、右手でフィル・インを叩いてる間に左手も持ち替える。

ポイントはどちらかの手が何か叩いてる最中に片方の手は、持ち替えを行えれば、すごく滑らかに進行させられるところだ。色々とスイッチの仕方を試してみると、音楽的にも創造力が広がる。

このROHEMAのハイブリッド・スティックの良いところは、この様に、左右それぞれ好きなタイミングで、ロッズの音とスティックの音を自由にスイッチすることが可能だというところだ。今までの様に、スティックとロッズをスティックケースに用意しておいて、持ち替える必要がなくなった。

演奏時に注意するポイント

ロッズ側は通常のロッズなので、ハイハットやシンバルの金物系を叩く時は、例えエッジで叩いてもスティックほどの鋭さは出せない。強めに叩くように意識しなければならない。特にサビのセクションなどでライド・シンバルでビートを刻む時、右手~ロッズ側を利用~ / 左手~スティック側を利用~の際は、右手~ロッズ側~のライド・シンバルの粒がしっかり聞こえなくなる。よって、シンバル系を叩く時の右手は、よっぽど小音量を求められない限りスティック側で叩いた方が有効かもしれない。

左手のスネアをクローズド・リムショットする時は、リムをヒットする側は、スティック側にするようにしよう。もしロッズ側にしてしまうと、ちょうど黒いゴムの結合部分がリムにあたることになり、カっという木っぽい音が出なくなる。

そしてもう1点は当たり前の事かもしれないが、持ち替える時に誤ってスティックを落としてしまわないようにする点だ。

親指が真上を向く、フレンチ・グリップのようなフォームでクルっと空中で1回転させる方法が楽だが、落とすリスクもある。安全性を考慮するなら、空中に放り投げて回転させるよりは、指をうまく使って回転させるほうがいいかもしれない(スティック回しをする時のご自身のやり方で)。

デメリット

スティック全体の約右半分の部分は、ロッズ部分と黒いゴムのようなもので結合されている。ロッズ側でプレイする時にシンバル系を叩く際、黒いゴムの結合部分は見事にシンバルに当たってしまう。

僕の場合はまだそこまで使っていないが、それでも既にゴムの結合部分にシンバルの角に喰い込んだ痕が残っている。

スティック側でプレイする時はその黒いゴムの結合部分を持つ事になるので、シンバルなどに喰い込んだ痕でデコボコしているとかなり持ちにくくなってしまう↓

ROHEWA Hybrid Sticks Made in Germany

最後に・・・

このROHEMA社のハイブリッド・スティックのおかげで、ロッズとスティックの持ち替えのタイミングをきちんと計画する必要がなくなった。

持ち替える時にスティック自体を落とさないように注意はしなければいけませんが、クルっと回して持ち替えるだけで、一瞬でロッズの音からスティックの音へのスイッチが可能です。

1曲の中でダイナミクスが極端に変わるような曲で、スティックとロッズを頻繁に使い分けなければいけない時、アコースティック系のショー、歌モノのバック、小さな会場での演奏、そしてどんな事をやるのかまったく予想出来ないセッションなどで是非とも活用してみて下さい。

*現在Amazonでは販売しておりませんので、以下のサイト↓から、または当サイトのドラマーズ・ショップからも詳細確認可能*

ROHEMA DRUMSTICK KOMBISTICKS 61309 Hybrid-Sticks 【新品】

 

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ロサンゼルスの師匠たち②グレッグ・ビソネット氏

with Gregg Bissonette
with Gregg Bissonette

ロサンゼルスのファースト・コール(一番にお呼びがかかる)ドラマーと言っても過言ではない、とにかく音楽的なドラミングをする、スタジオ・ドラマーだ。

音楽的なドラマー(Musical Drummer)とはどういうことだろうか・・・ミュージカルのバック専門のドラマーではない。

叩くフレーズなどがメロディーを意識させてくれたり、楽曲に合うフレーズ、グルーヴやフィールを最優先的に考え、演奏するドラマーだ。海外では自分の近くには、音楽的なアプローチをするドラマーしかいなかったが、日本ではこのような解釈が未だに乏しく感じる。ただ、あくまで音楽なので、ドラム的都合よりも音楽的都合でアプローチするのは、基本中の基本である。ドラムセットは基本的にスネア⇒タム⇒フロアタム⇒キックという順序で音が低くなっていくので、一応音階が存在する。打楽器でも音程はすごく大事なことなので、意識するべきである。

私自身がちょうどグレッグ氏の家に駆けこんだ当時は、手数などのテクニックばかり習得していて、内面的な部分、特にタイムに関する意識が疎かだった。

グレッグ氏のレッスンは他の師匠達とはちょっと違い、教則本などを一切使わないレッスンだ。その代わりに最初に言われたことは、「必ずレッスンを毎回録音して、後で聞き直して練習してほしい」という内容だった。

私は他のレッスンでは、場合によりけりで録音はしていたが、グレッグ氏のレッスンではとにかく録音したものを聞き直し、必要であれば自分で譜面を書いて記録したりするというやり方だ。グレッグ氏のレッスンを受ける場合は、なるべく音質の良いレコーダーなどを必ず持参しなければいけない。

このように録音して聞き直すことをやり始めてからは、~セルフ・アナライジング~(自己分析・解析)が出来るようになった。特に自分自身のタイム感とグルーヴ感がまったく気持ちよくないことに気が付き、主に自分のタイム感について解析をやり始めた。正直に言うと、グレッグ氏に習うまでは、セルフ・アナライジングを一切していなかった。

1時間のレッスンをずっとノーカットで録音しているので、もちろんレッスン内容の復習としても録音を聞き直すわけだが、その中でも自分のタイム感について着目をしたのには理由がある。
初日のレッスンで、「自分の好きなテンポで8ビートを叩いてみて」と言われ、当時よく演奏する機会があったJames Brownの「Sex Machine」のグルーヴを、テンポ・110くらいを意識して約1分ほど叩いた。すると・・・

「テンポが途中からだんだん遅くなる癖があるようだ」という言葉をもらった。この一言からタイムに関する人生をかけた研究の旅路が始まったわけだ。

どうしても、自分の中では、気持ち良く感じていて、ずっと同じテンポで叩けていると思っても、実際には外部にそうは聞こえていない時がある。

ドラマーの人生をかけた課題~Life Time Work~は、手足を可能な限り早く動かせるようにすることではなく、体内時計~Internal-Clock~を完璧にしていくことだ。

この体内時計を最短で効率的に良くしていくためには、~録音~が必要不可欠だ。体内時計というのは、自分自身のタイム感のくせを理解することによって、精密さ・正確さが増す。そして自身のタイム感を理解するために重要なのが、録音したものを聞き直し、細かく解析・分析をする、セルフ・アナライジングの作業をすることだ。

一体何をアナライズ(分析・解析)するかと言うと、主に自分のタイム感のくせだ。良い癖も、悪い癖も全て

今回お話しているセルフ・アナライジングは、主に8ビートなどのグルーヴを叩いてる時のタイム感を良くするためのお話だが、他にも何か見つかるかもしれない。例えばフィルインがハシる・・・など。そういったこともあればメモに記録しておき、自分なりの修正方法を探ると楽しい。

このようにグレッグ氏が力説する、多種多様ジャンルにおいての音楽的ドラマーになるための重要事項を解説した、素晴らしいDVDをご紹介するので是非ご覧になってみてください。
(↓こちらの写真から、または当サイトのドラマーズ・ショップからも詳細確認可能)

次のページで、セルフ・アナライジング作業方法の詳細、そしてもう1つのグレッグ氏のお勧めDVDをご紹介します。

(さらに…)

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ロサンゼルスの師匠たち③マイケル・パッカー氏

約3年間、徹底的に身体的テクニックに関してのレッスンで学んだ。一言で言うとかなり厳格なドラマーだ。

正式な名前はMichael Packer(マイケル・パッカー)氏だが、弟子たちはみんな揃ってMike(マイク)氏と、英語圏でよくある短縮形で呼んでいるので、ここではMike氏と呼ばさせてもらいます。

特にMike氏は足のモーラー奏法で話題になり、足専門の教則本やDVD、そして大手DW社から自身のシグネーチャーのヒールレス・ペダルも発売しているドラマーだ。街のドラム・ドクターという表現が合うと同時に、まさに足のプロフェッショナリストだ。

そのドラマーが抱えてる問題に対して、即効性のある処方せんを出してくれる。その練習法を実践すれば、自身も今まで治らなかった癖が1週間で治ったという経緯がある。すごく細かいことばかりだが、非常に理にかなっている。

例えば僕の場合は、パラディドルで右手アクセントを叩いた後の、ディドル(ダブル/RR)を叩く時に、手首が下向きになったまま(垂れ下がったまま)プレイしていて手首に負担がかかっていたり、当時Dave Weckl氏のテクニックにかなり影響され、ダブルストロークをやるときに手首を内側から外側にひねる方法でやっていたが、Mike氏からは「彼のテクニックはユニークすぎるからまだ真似はするな」と一喝されたことを覚えている。

Mike氏からすると、「まず基本的な体の自然な動きと構造を理解する。そしてその先は、その自然な動きの際に使われている筋肉の使い方を実行しながら、自分なりの楽な動き・奏法を見つけても良い」と述べている。確かにDave Weckl氏も、少なくともFreddie Gruber氏に習うまでは、あんなユニークな動きはしていないわけだ。

まずは自然な体の動きを用いた、体に負担がかからない動きを染み込ませる。その後に自分なりの動き方を発掘していけば、非常に効率的である。この順序が逆になってしまうと、将来的に体に負担がかかるような癖が取れなかったりして、面倒なことになる。

「ドラムを始めたばかりの頃は、色々なドラマーや好きなドラマーからアイデアを盗み、視覚的に叩き方を真似してみたりというやり方になる。ただ、あくまでそれは参考程度にしてほしい。なぜならその憧れのドラマーとあなたは同じ体の感覚を持っているとは限らないから。まずは体の自然な動きに逆らわないようにしてほしい」と、Mike氏は述べている。

あとは何よりも足のアプローチだ。

僕自身はペダルを踏んだ後に、ビーター(ペダルに付いてる、打面をヒットするためのフェルト)を打面に付ける奏法しかやってこなかった。

Mike氏から徹底的に教わったのは、ビーターが打面をヒットした後に、リバウンドを利用してビーターを打面から離す方法だった。手の奏法でのフル・ストロークや、リバウンドを利用して跳ね返ってくることとまったく同じ理論だ。

とにかく最初は、ビーターを打面から離すのがここまで難しい感覚だと驚いたことを鮮明に覚えている。足に関してはとにかく、ビーターを打面につけるか/離すか、この2つの奏法を楽曲のタイプによって自由に使い分けられることがゴールとなる。

このように、Mike氏の理論はものすごく理にかなったものだ。

レッスンで教えていただく内容は、冷静に考えると当たり前のような体の自然な動きに関する事、いざスティックを握ると意外に忘れてしまっているような、身体的なことばかりだ。Mike氏の体の自然な動きをきちんと活用して無駄な動きなどを排除した、スマートで非常に効率的なアプローチからは未だに多く学ぶ事がある。

今回ご紹介したMike氏のテクニックが存分に詰まったDVDは、特に足のアプローチに関する観点がガラリと変わり、今まで以上に足が気持ち良く動くようになる事に間違いないので、是非ともご覧になってみて下さい。
(↓こちらの写真から、または当サイトのドラマーズ・ショップからも詳細確認可能)

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ロサンゼルスの師匠たち①ジョー・ポーカロ氏

with Dr. Joe Porcaro
with Dr. Joe Porcaro

ミュージシャンなら知らない人はいないであろう、TOTOのオリジナルドラマー・Jeff Porcaro(ジェフ・ポーカロ氏)の父である、Joe Porcaro(ジョー・ポーカロ氏)。ジョー氏自身もロサンゼルスでは知らない人はいない、偉大なスタジオドラマー/パーカッショニストである。

ロサンゼルス郊外のご自宅に毎週通わせてもらいながら長年師事し、プライベートレッスンをみっちり受けた。自分自身は以前ハワイに住んでいた頃から、アメリカ本土、特にロサンゼルス(西海岸)の音楽シーンや音楽家にかなり着目していたため、ジョー氏に師事したいとずっと強く願っていた。

とあることがきっかけで、ロサンゼルスから少し南に行ったアナハイム・コンベンションセンターで毎年開催されている世界最大の楽器展・NAMM SHOW(ナム・ショー)に行くことになった時に、アラン・ドーソン・ドラムスクール主宰の水野オサミ氏からの直接の紹介を受けてお話をさせていただいたところ早速、「来週から家に来なさい」と言われ、連絡先と家の地図を渡された。そして憧れの師匠とのレッスン生活が始まったわけだ。

自宅のスタジオにはドラムセットが向かい合って2台並べてあり、TOTOに関するディスク、グラミーに関するものや、ジョー氏自身の輝かしい経歴を彩る賞などがところ狭しと飾られている。

ジョー氏は左利きで、ドラムセットも左利きセッティング。そのため、通常の右利きセッティングのドラムセットを向い合わせると、まるで鏡に映ってるかのような状態になる。向こうが叩いてることをそのままヴィジュアル的に真似するようにレッスンを受けれるので、習得が早かった気もする。

レッスン初日の緊張の嵐のなか・・・セットに座るやいなや、「何か叩いてみて」と言われ、頭が若干真っ白になりながらもスロー・ミディアムテンポのジャズのスウィンググルーヴを叩いたことだけは鮮明に覚えているが、細かくどうプレイしたかは覚えてない。それほど緊張していたようだ・・・

その後は、一瞬で僕がどういうプレイヤーなのかを理解した様子で、ジョー氏は言葉を発した。「君は一通り手足のテクニックは習得してきたようだ。次の最も大事なステップ、グルーヴ/フィール/オリジナリティを鍛えていこう」と・・・・ 

正に自分がちょうどその時悩んでいたポイントを見事に見破られた。

その後レッスンに進んでいくが、ジョー氏のレッスンは主にご自身の教則本・Joe Porcaro Drum Set Methodを使って進んでいった。もちろんあのRalph Humphley(ラルフ・ハンフリー)氏と立ち上げた、MI・ハリウッド校でも使っていた教材もいくつか登場した。

これに加えて、更に音楽的なアプローチを自由に出来るようになるために、今一度Ted Reed氏のSyncopation、そしてLouis Bellson氏のModern Reading Text in 4/4も同時に見直しを始めた。

ジョー・ポーカロ・ドラム・セット・メソッド
ジョー・ポーカロ・ドラム・セット・メソッド

JOPO Drum Set Methodには、3ストロークラフやフラムからパラディドル系まで一般的なルーディンメンツを、それぞれのジャンル分けされた音楽のグルーヴ・パターンの中で、どうドラムセットに応用して使うのかということが主に書いてある。ある意味、ネタ帳のようなものだ。

実際のレッスンではこの本を使い、一つのルーディメンツに対してのオーケストレーション法を何種類も常に披露してくれた。

ちなみにオーケストレーションとは、ドラムセットの中で、一つのパターン(手順)で、アクセントをタムに移動したり、キックに当て変えてみたり、シンバルに移動したりと発展・応用させていくことを言う。

特にジョー氏のオーケストレーションのバリエーションの多彩さには未だにすごく驚く。何回も目の前でプレイしてるところを見ても、やはり順番的に叩くなどの法則はほとんどない。最初に頭の中でフレーズの音程や何だかのメロディーが流れていて、それに沿って音程の合う箇所を叩いていくというやり方だ。

これを練習すると、頭に浮かんだ事を直ちに手足に伝達して、即時に叩けるようにする、~Transmission(伝達)~という、ドラマーとしての常に最終目標となる動作が出来るようになってくる。

「シンバルの後に必ずタムへ移動するなどといった、なんだかの規則を頭で考えることはほとんどしない」と、本人も述べている。

「まず一つ好きなルーディメンツを選び、それをタムやシンバルやキックに移動したらどんな感じのメロディーが出来上がるか、また、どんなメロディーにしたいか・・・なんとなく歌って想像してみてからスティックを握ろう」と、常に注意されていた。

日本の教育の現場では未だに100%浸透していないことが残念だが、自分が叩く/叩きたいパターンを声に出して歌うということが非常に大事である。自ら試してみると、声に出して歌うことで、体が内容を消化して、早く理解してくれるのだろうか・・・意外と叩けるようになってしまう。このやり方のほうが上達スピードが早くなるということだ。

そして何よりも、シンプルで声に出して歌えるようなフレーズということは、音楽的であるという証拠なので、聴き手にもドラムが歌のように聞こえる。実際にドラムを叩く前に歌って、そして歌いながら叩くことを大切にしていきたい。

*今回ご紹介した教本、特に以下の2冊は、世界標準で様々なドラム・音楽教育の場で使われている最も重要な教則本です。是非チェックしてみて下さい。
(↓こちらの写真から、または当サイトのドラマーズ・ショップからも詳細確認可能)
(*上記のジョー・ポーカロ・ドラムセットメソッド/1冊目に関しては、現地からの調達可否について確認が必要なため、ご興味があればお問い合わせページ内のメールアドレスにご連絡ください)

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テンポキープ・タイムキープについて

テンポ・キープのコツとは何か・・・長年考え、色々と試行錯誤した結果、テンポ・キープに一番有効なのは、演奏する曲のメロディー(他の楽器のリフやホーンラインなども有効)を頭の中で流して歌い、プラスその曲のテンポで自分自身が心地良いと感じる踊り方(体の動かし方)で体を躍らせるやり方で、楽にテンポ・キープ出来ると分かった。

テンポ〇〇〇から力づくでズレないように、あたかもクリック(メトロノーム)に合わせて演奏してるかのように正確にプレイしようと意識するのではなく、その楽曲のメロディーや他の楽器がやっている事を頭で流し、歌いながらきちんとイメージすることによって、すごく自然にテンポをキープ出来る。

もちろん正確なタイム感は必要不可欠で、ある程度クリックとの練習も必要だと思う。ただ、クリックを聞きながらそれに合わせて5分間叩き続ける事と、クリックを聞かないで5分間同じテンポをキープするのとでは、まったく別世界の話になる。

どちらかと言うと、クリックに合わせて演奏する方が楽だ。なぜならクリックは機械なので人間と違って感情が存在しない。一度そのテンポにこちらの体が慣れれば、あとは合わせようとすれば何とかついて行けたりする。(最終的にはクリックに合わせようとするのではなく、気付いたらクリックと同化していたくらいの感覚になるように意識する)

クリックなしの場合はどうだろうか。なかなかそうはいかない・・・なぜなら今まで信頼してガイドにしていたクリック音が無くなり、主なガイドとなるのは自分の体内時計や周りのバンドメンバーのプレイのみとなる。1曲何分間もの間、同じテンポをキープするためのガイドとして頼れる、クリックの代役となる体内時計を育て上げなければならない

ロサンゼルスの師匠たち②グレッグ・ビソネット氏のブログでも体内時計については少しお話しているが、今回は主にクリックなしでビートを叩く際、どのような思考でテンポをキープするか、そして体内時計に自信をつける方法にフォーカスして、今までで一番有効だった練習方法もご紹介したい。

例えば、クリックを聞かずにプレイする際、テンポ100から絶対にズレずに5分間8ビートを叩くことなど非常に難しく、そしてこれが出来ても実際のアンサンブルの現場では役立たない。実質、テンポ100はこうだ、と言葉では説明出来ない。あくまでテンポ100だとこれくらいだ、という感覚的な表現になる。では、この感覚的な表現を、どうすればある程度明確的に出来るのか。   

日本では、絶対音感ならぬ絶対リズム感を鍛える事を目標にする人を多く見るが、これをゴールに設定しても、人間同士で演奏する音楽のアンサンブルの現場では一切役に立たない。なぜなら、人間がプレイする以上、人それぞれのタイム感覚の波動・うねりがあって当然であり、そのそれぞれの波動が噛み合わさる事でバンドの演奏が成り立つから。

自分ひとりが、クリック通りの正確なだけの、ある意味無個性なビートを叩いているからと言って、必ずしもバンドとして心地よい音楽に聞こえるかと言うと、そうとは限らない。

例えば同じ1曲の中でも、すごく大人しく落ち着いた感じのAメロで、ドラマーだけが思い切り前のめりなタイム感ですごくアグレッシブだとおかしい。または逆に、すごく激しい攻撃的なサビで、ドラマーだけが物凄く落ち着いて緩い気分で、後ろにもたり気味のタイム感でもおかしい。

要するにドラマーが、1曲の同じテンポ内で、Aメロ・Bメロ・サビなどそれぞれのセクションでのバンド全体のタイムの波動に、自分の波動を乗っけて合わせていくこと/または周りがドラマーに合わせてくることが非常に重要になる。

そうするには、楽曲のメロディー、他の楽器のリフやホーンラインを常に頭の中で歌いながらプレイ出来れば、ただ単にテンポをキープするという概念から、曲の流れをキープするという概念に変わり、その曲のイメージから必然的にテンポも感じる事ができ、非常に~自然なタイム感で~1曲を進行出来るようになってくる。

テンポ(BPM-Beats Per Minute-テンポの単位で1分間の拍数のことはただ単に数字によって表された速さから理解出来るだけではなく、メロディーラインやホーンライン等の他楽器のリフやフレーズによる脳内のイメージからも把握することが可能であることは間違いない。そして何よりも、頭の中で楽曲を流す事でテンポを把握することにより、テンポ〇〇〇ならこれくらいだ、という自分の体内時計に数倍の自信がついてくる。

クリックなしで演奏する時に一番大事なことは、1曲を通して1テンポも崩さずに力づくで同じテンポをキープするのではなく、ある程度のテンポをキープした上で、その楽曲のそれぞれのセクション(Aメロやサビなど)ごとのフィールに準ずる演奏をすることだ。

ちなみにこのある程度~の度合いは、クリックで2テンポの枠内となる。クリックを聞かずにバンドなどで演奏する時、この枠内でのテンポの変化であれば、タイムがちょっと前に引っ張る感じや、ちょっと後ろ気味でゆったりした感じのような、フィールの変化があるようにしかリスナーには聞こえない。3テンポ以上速くなったり遅くなったりすると、ズレているように聞こえてしまう時があるので注意したい。

最終的に、周りのバンドメンバーがそのフィールの変化の波動にきちんとついて来てくれたり、逆にこちらがついて行くことで、バンドとしてまとまった演奏をすることが出来る。

実際に楽曲のイメージによるテンポ・キープを練習をする時に、各テンポごとの楽曲を探すのに非常に役立つサイトがあるのでご紹介したい。元々はジョギングをする際に走る速度を一定に保つための様々なテンポ(BPM)の曲を掲載したサイトである。ページ左部分のSearchタグのすぐ下の欄に検索したいテンポを入力し、右横のBPMボタンを押せばそのテンポの楽曲がずらりと右側に表示され、試聴も出来る↓
jog.fm/workout-songs←ここをクリック

 

練習方法:

まず、それぞれの練習したいテンポごとに同じテンポの曲を見つける。例えばテンポ100で検索するとそのテンポの曲がたくさん出てくると思うが、出来る限り自分の知っている曲を見つける。もしもそのテンポ内では知らない曲しかない場合は、いくつか聴いてみて好みの曲を探したりする。

次に、その曲のメロディーや他の楽器パートのフレーズやリフなどを頭の中で流せるように覚える。もちろん声に出して歌うと更に曲のイメージが沸いて、自然にテンポも感じやすくなる。
そして、その曲に合わせて踊ったり体を動かすとしたら、自分ならどういう動きをすると気持ち良いかを探る。あくまで自分なりの心地良いやり方を探る。

実際に叩いて練習する時は、まずクリックなしでその曲のメロディーを頭の中で流し、歌って、そして曲のイメージをしながらやってみる。そして次に、その曲の実際のテンポをクリックで流しながら同じことを叩いてみれば、自分が叩いたテンポが正しかったかどうかすぐに分かる。数小節から~約1分間ごとに、クリックなしとクリックありの交互で叩いてみる。
そして、ロサンゼルスの師匠たち②グレッグ・ビソネット氏のブログでもお話したセルフ・アナライズの内容と同じだが、最終的にはクリックなしで叩いてるところを録音して聞き直し、実際の楽曲のテンポと合っているか確認すれば更にいい練習になる。

*1人で8ビートなどのグルーヴの練習をする時には、テンポ100ならこの曲、テンポ120ならこの曲という風に、それぞれのテンポごとに1、2曲づつでいいので、楽曲セレクションを用意しておく。

この練習方法によって、いざテンポ〇〇〇で叩いて欲しいなどと注文された時に、一旦クリックを聞いて確認してから演奏する時よりも、体内時計と実際の正しいテンポとの合致率が高くなった

数分間同じテンポをキープ出来る確率としては、このやり方が今までで一番高い。神経質にクリックと練習するだけではなく、その曲を歌って踊って、感情的・感覚的な部分からテンポを体内で把握するほうがより効率的だ。

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コピーするということ

with Master, Steve Gadd
with Master, Steve Gadd

例えばSteve Gadd(スティーブ・ガッド)氏が叩く、ハイハットとスネア間でのインバーテッド・パラディドル(パラディドルの応用形)が絡んだフレーズ~RLRR LRRL~は本人がやり出して広まったのは間違いないが、本人はこのフレーズを叩き出した時に一体どこからインスピレーションを受けたのか・・・

一番重要なのは、手の動きなどの身体的部分の事よりも、どういう思考でどういう影響を受けて、そのフレーズを叩いているかだ。

元々この手順は、Mardi Gras(マルディグラ)と呼ばれる、New Orleans(ニュー・オーリンズ)のインディアンの人々がパレードで、タンバリンなどで叩くリズム・パターンである。(歴史はかなり割愛して、)そして、ニュー・オーリンズのドラマー、Idris Muhammad(イドリス・モハメド)氏によってドラムセットでのグルーヴとして洗練され、世に知られた。

イドリス氏と言えば、昔のブルーノートレコードから発売されている、ギタリストのGrant Green氏のアルバムでファンキーなグルーヴを叩いている名ドラマーだが、その中の曲たちの中でもこの~RLRR LRRL~は叩かれているので是非とも聴いてみていただきたい。(Idris Muhammadは改名後の名前で、旧名はLeo Morrisである。Grant Green氏のアルバムには旧名でクレジットされている作品もある)

ドラムセットで~RLRR LRRL~を使ったグルーヴをすごくカジュアルにして、様々な素晴らしいドラマーへ影響を与えたのが、1970年にロック・バンド、Redbone(レッドボーン)が発売したレコードで、Prehistoric Rhythmという曲で、オリジナルドラマーのPete DePoe氏が叩いたものである。そして、このビートは~The King Kong Beat~キング・コング・ビート~と呼ばれている。

王道ファンク・バンドのTower Of Power(タワー・オブ・パワー)のオリジナルドラマーである、David Garibaldi(デビッド・ガリバルディ)氏も耳にしたのちにこのフレーズに影響され、数々のタワー・オブ・パワーのレコードの曲中でも叩き出した。

そしてもう1つは、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック)氏の“Thrust”、そして“Flood(日本語タイトル:洪水)”という2枚のアルバムで、名ドラマーのMike Clark(マイク・クラーク)氏もこの~RLRR LRRL~フレーズを叩いている。

このマイク氏と先ほどのデビッド氏が主に、このフレーズを早いテンポにして、上記のファンク系などの楽曲に入れ出して、新たな応用・発展型として世に聴かせた。特にこのハービー・ハンコック氏の2枚のアルバムでのマイク氏のドラミングは、リニア・ドラミングと言う新たなドラム奏法としても知られた。こちらも是非とも聴いてみていただきたい。

だいたいこの辺りの時代に上記3人のドラマーからの影響を受けて叩き出し、色々と試していた結果、主にハーフ・タイムのグルーヴ上で、32分音符を基盤に叩くのが一番しっくりきたと、本人も述べている。そして、今現在のSteve氏のプレイを見れば、そこから更に最近の自身のアイデア要素も加わって変化を続けていることも分かる。まさにオリジナリティーの要素で満ち溢れている。

このように以前のヒストリーを辿ってみるとまた新たな世界が見えてくる。ただSteve Gadd氏がやり続けてるフレーズだからと言って、Steve Gadd風フレーズなどと述べても非常に中身が薄くなる。

自分自身のレコーディングでもプレイバックの時に気付かさせられることがあったが、詳細を深く知らずに・学ばずにコピーしたフレーズを叩くと、悪い意味で意外と浮いてしまう

これに関しては、下記で説明している消化の作業をやっていれば絶対に問題は発生しない。

とにかくヒストリーを辿る事を絶対に忘れたくない。なぜなら、ヒストリーを辿っていくほうが学べる内容量も情報量も倍増し、何よりもそのコピーしたものを自分自身のカラーに変換してから放出する時に、モノマネ感が出てしまうことを防げる。

ネット上の完成形の映像や情報だけで100%学ぶことは不可能であり、満足することも出来ない。可能な限り現場に行き、そしてその本人と会話をして学んでいる。

コピーをする時の必須プロセス

①理論的に理解する

色々なミュージシャンやドラマー(もちろん音楽家以外の分野からも)からインスピレーションを受け、やりたいフレーズやグルーヴを理論的に頭で理解する。

ここまでは一般的な「コピー」の作業のひとつで、パターンを譜面に書いてみたり、手順やアクセントはどう叩かれているのか、更にはそれに関するヒストリーもしっかりと辿り、全体的な詳細を確認することになる。

例えば口頭で書いた、Steve Gadd氏のパラディドルのフレーズ。手順はすでに書いた通りだが、どこにアクセントがつくのか、このフレーズをどのタイミングで入れるか、ドラムセットのどこを叩くのか・・・などなど。これらの詳細を頭で理解する。

②実際に叩いてみる

実際に楽曲の中で、遊び半分にここだと思ったところにそのフレーズを入れてみたりする。この時点では①での内容は完了していて、理論的にそのフレーズの事を詳細まで理解済みということが前提となる。

意外とすぐに叩けるようになれば、次の③のステップに進む。長いこと練習してもなかなか出来ない時は、イライラで爆発しそうになる寸前まで頑張ってみてから練習を止めて次の③へ進む。

③一番大事な最終プロセス~消化

頭で理解し・体で覚えたこと(例え出来てなくても、ある程度だけでも)を十分に消化する。消化するということは、コピーして学んだ内容を詳細までしっかりと体に浸透させることである。

実際に叩いて練習した内容は、体が筋肉の動きなどを含めて理解しようとする。練習したことによってインプットされた内容を体自体が理解するまでに少し時間がかかる。

そのためこの消化作業は、練習後、まる1日ほど、練習をしないで過ごすことで完了しやすくなる。

自分のものにしたいフレーズなどを一日中練習した次の日は、昨日練習したことを歌ったり、想像したりしながら、スティックを持った(身体的)練習を一切しないで過ごす。意外と体の筋肉などは、この休んでる間に、練習した内容を吸収して理解してくれる。

ここで大事な事は、練習を休んでる時にイメージトレーニングをすること。

そして次の日、または2日後などにスティックを握ってみると、練習した内容が脳内と体内で自動的に吸収・整理・理解され、頭がすっきりし、どうすればきちんと叩けるかという感覚的な指示が脳から手足へと伝わる。それによって、一昨日出来なかったことが気持ち良く叩けるようになっていたりする。これがまさに消化を完了した状態だ。

*もし万が一、②から③への流れを何度やっても出来るようにならない場合は、この③の消化にかける期間を2日間に増やしてみる。先ほど述べた通り、あくまで休ませるのは体だけで、イメージトレーニングは続ける。

④創造

きちんと消化出来ていれば、これ以降は頭の中を空っぽにして、細かい事は考えず、感覚だけに頼り、まさに自分の個性を発揮する場面へと突き進んでいく。

消化後は細かい事を考えなくても手足はある程度動いてくれるので、コピーした内容を自分なりの言葉・表現に変換する作業に集中できる。この最後のステップは一番楽しくやるべき段階である。

コピーした/コピーしようとしてる内容からインスピレーションを受けて、真似てみた段階で満足して完了してしまうと、オリジナリティーがまったくなくなってしまう。

例えば海外ではどんなドラマーからレッスンを受けても、ロサンゼルスの師匠たち①ジョー・ポーカロ氏のブログ(←ここをクリック)でも紹介したような教則本からそのままフレーズをコピーして出来るようになっても、最終的には必ず「自分なりのアプローチで叩いてみて」と要求されてしまう。

こんな時にも、他からコピーしたフレーズでもきちんと消化出来ていれば、モノマネ感を出さずに自分の歌心基準で自然に演奏することが出来る。

最後に・・・

コピーするフレーズに関しての理解度が高ければ高いほど消化していればいるほど、手足は意外と動いてくれる。

まずは、自分が叩きたいフレーズの完璧な理想完成形を頭で流す作業を常に行う。更にそれを口に出して歌うことが出来れば、消化率はすごく高くなる。そしてなおかつ、消化率が高ければその分、コピーした内容を自分なりの言葉・表現に変換する作業1本に集中できるようになり、オリジナリティーという世界が開ける。

一番最初にご説明した、~RLRR LRRL~のパラディドルの変形型は、世界中のドラマーが持っていて世界標準となっている教本、「Stick Control」の最初のページ、No.33のパターンそのものとして物凄く有名です。是非チェックしてみて下さい。本来は、手のコントロール能力を向上させるための教本ですが、自分自身の新たなフレーズの世界の開拓にも必ず繋がる優れものです。
(↓こちらの写真から、または当サイトのドラマーズ・ショップからも詳細確認可能)

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音楽の本質的部分とは

音楽の本質的部分 = 感情の共有と感情の相互作用 

*聴き手に何らかの感情的影響を与え、自身も聴き手からのテンションやムードなどから何らかの感情的影響を受けること。

*音楽の定義の1つで、“音による時間の表現”と言われてるように、時間=(打楽器で言う)リズム・タイム・グルーヴなどを指すわけだ。そうなると打楽器の場合は、どのような気持ちで/どのような感じで/どのような雰囲気で、そのコンスタントなリズムを奏でるのかということが全ての論点となる。

 

この時点で、人間に様々な影響を与えるためには、手足のすごい技以前に感情的要素が必要不可欠であることは一目瞭然である。

これらの事柄が常に頭に入っていれば、必ず自然に音楽的なドラムを演奏することが出来る。

もしもドラムセットという楽器を“音楽の一部”として見れているならば、当然のことながら演奏を聞けば、自然と体が動いてくる。

演奏者・聴き手どちらにも言えることだが、ドラムセットという単体のソロ楽器だと構えて捉えるがゆえに、音楽そのものとの関連性がないひとつの道具として見てしまい、単なる派手な見せ技を追求することだけが目標となりがちだ。

あくまでドラムセットという楽器は、アンサンブルの中での共演者や聴き手との間での相互作用によって、そしてドラマーが何らかの感情を注入しながら演奏することによって、曲の中で輝く

例えば、このような事をまったく考えていないドラマーがバンドの中に入って曲を演奏すると、周りのバンドメンバーが例え生身の人間であっても、周りを聞こう・感じようとする意識がないため、CDに合わせて叩いてるようにしか聞こえなく、音楽性に欠ける。

ドラムセットやその他打楽器に関しては特に、自身の感情が表に出やすい。なぜなら、誰でも叩けばすぐに音を出せる楽器だからだ。ということはイコール、それだけダイレクトに自分の感情を注入しやすい楽器ということだ。

怒りながら叩けば、とげとげしい音色が出る。優しい気持ちで丁寧に叩けば、マイルドで耳に刺激が少ない音色が出る。まずこの楽器にこういった特色がある時点で、そのドラマーから湧き出る質感と感性、そしてノリの部分が自然に、聴く人や観る人に様々な影響を及ぼしやすい楽器ということになる。

もしも楽器という物を単なる技術の塊としか見れていない場合、あくまで技の発表にしかならない。その人間が楽器を通して発する独特の空気感や感情の放出、表現などを“感じる”ということが、全ての芸術分野において必要不可欠となる本質部分だ。

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ドラマー or ミュージシャン

~あなたはドラマーになりたいのか、それともミュージシャンになりたいのか~

Do you want to be a DRUMMER? 
Or 
Do you want to be a MUSICIAN?

 

アメリカに住み始め、様々な師匠たちに巡り合う事が出来て、様々なことを教わったわけだが、ほとんどの師匠から共通して言われたのがこの言葉だ。

ドラムビジネスではなく、ミュージックビジネスの観点からドラムセットという楽器を捉えることが、最重要だと常に周りから教わった。

最初に注意事項として、これはどちらが良いか悪いかという論点ではなく、ただ単に意識の方法である。

海外の人間がよく言うドラマーの解釈は、「ドラマーはドラマーという1人の技術者という感覚であり、~叩くということ~に関する身体的な技術の部分のみを追究する者」。

一方、ミュージシャンという表現では、よく“音楽的なドラマー(Musical Drummer)”と表現されるが、ドラムセットという楽器を使って、音楽・楽曲を輝かせることができるドラマーということになる。

この曲ではどういうドラムを叩けば、曲がかっこよくなるか、ヴォーカルがかっこよく聴こえるか。実際に叩くグルーヴやフィルイン(おかず)のパターンなどは、あくまでその曲に合うから叩くわけであって、自分のドラム的都合で叩くわけではない。

このようなアプローチでは、自分1人の力ではなく、バンドメンバーやオーディエンスを含む、その場で音楽に関わる人間との相互作用によって、1曲を成り立たせるということになる。

そのため、装飾的で派手なフレーズばかり叩いて、自分が一番目立ってやろうというマインドになったらおしまいだ。その曲に合う=正しいアプローチを心がけたい。そして、その曲にどんぴしゃりで合う内容を叩けた時には、楽曲・ドラムと共に輝く。

自分自身も楽曲第一のアプローチになってから、師匠たちから「ミュージシャン」という表現をしてもらえるようになった経緯がある。

 

ある意味自然な事かもしれないが、特にドラムをやり始めた頃は、とにかく速くてかっこいいフレーズや派手な技をやることばかり目指しがちになる。ただ、音楽に関わり続けていくにつれ、様々なジャンルの音楽や人種と共に音楽を演奏するようになれば、「ドラマーかミュージシャンか」という意識の違いは、重要な基本思考だと感じるに違いない。

例えば、誰がスティックの持ち方を気にするだろうか・・・ 気にするのは周りのドラマーだけで、他の楽器の人間はそんなこと一切気にしない。

このようにドラムセットという一種の楽器である以上、当然奏法に関する批評は存在する。ただこれはあくまでドラマーの世界の中だけの話であって、もっと広い視野で音楽という世界から見ると、もの凄く小さな議論だ。本来個々のミュージシャンが意識するべきことは、ドラム批評ではなく音楽批評のほうだ。

結局、ビジネスで関わる人間の数では、ドラマーより他の楽器の人間の方が多い。ドラム的批評ばかり気にしていると視野が狭まり、音楽的批評を意識する余裕がなくなる。そのため、共に音楽を創り上げていく上で、バンドメンバーがドラマーに求めていることに気付きにくくなる。 

 

音楽の現場で、~ドラマーとミュージシャン~ この2つの解釈では何が違うのか・・・

まずは、ドラマーとミュージシャンの解釈の違いを他の分野で例えてみる。

例えば、とある国の言語に興味があって勉強する。分かりやすく英語に例えてみる。TOEICやTOEFLで満点を取れるほど勉強していれば、ある程度の日常英語からビジネス英語まで読み書きが出来るようになるであろう。ただしそのアカデミックな内容以外には、同じ英語圏の国の中でも、その地域独自の細かいイントネーション、アクセント、抑揚、そしてスラングなどが存在する。

英語で言うならば、同じアメリカ合衆国でも大きく分けて、ハワイ州、西海岸、東海岸、アメリカ大陸中央部などでは、見事に発音が異なる。ハワイ州でずっと通じていたニュアンスのまま、ニューヨークで現地の人間と最初に話すと、うまく通じない言葉がいくつも存在する。更にそれをロサンゼルスで応用すると、また別に通じない言葉が存在したりする。

過去に勉強した英語の教科書通りの文章だけでは通用しないことを痛感させられた。

もう1つの例として、車の運転ではどうだろうか。

例えば、単に運転が上手いのと安全な運転が出来るのとでは意味が違ってくる。いくらアクセルやブレーキの使い方がうまくて、車線をはみ出さずに走れて、車庫入れや縦列駐車が上手く出来ても、いざ公道で100%安全に走行出来るかというと、それは分からない。公道で遭遇する可能性のある様々な事故や危機を予想したり、回避しようとする意識と技術の方が、実際の運転では役立つ。何よりも車の運転という事柄でのメインポイント~安全~という要素に寄り添えているかが重要になってくる。

言語に関しては、音楽のジャンルやスタイルの基礎を学ぶ時と同じで、本当にその言語の詳細まで深く学びたいと感じた時には、その言語を使っている国そのものに関して知りたいと強く感じるはずだ。その国の歴史、特徴、文化、風習、人間性、国民性、長所、短所などから、その言葉のニュアンスに隠されたヒントが分かる。

どちらの例に関しても共通するのは、実際の現場で役立つのかどうかである。

 

まったく同じことが音楽にも当てはまる。身体的技術が完璧なドラマーと、楽曲をかっこよく聴かせるドラマーとでは大きく異なる。プロの仕事の現場や、例え初心者の人がバンドをやる時の練習時であっても、その場での正しい対応やレスポンスに繋がるのは、紛れもなく後者~楽曲をかっこよく聴かせるドラマー~となる。

だからと言って、身体的技術が不要ということではない。特に手足のスピードに関しては、卓越したような要素は音楽的なドラムを叩くためにはほぼ必要ないが、もちろん基本は必要である。

これら2つの要素両方を非常にバランス良く持ち合わせているのが、世界を代表するドラマー、Vinnie Colaiuta(ヴィニー・カリウタ)氏などだ。また、身体的技術がものすごく卓越しているわけではないが、楽曲をピカイチに輝かせて聴かせるドラマーとしては、Steve Jordan(スティーブ・ジョーダン)氏などが挙げられる。まったくスタイルの違うドラマーだが、両ドラマーに共通しているポイントは、楽曲の事を最優先して考えるところだ。

決してどちらが良いか・悪いかではなく、まず楽曲が必要とする最低限必要な音楽的ドラミングの要素を叩くこと、そして楽曲を邪魔しないことを基本に、プラスアルファの部分で自分的な事をやるのが通常だ。このプラスアルファの部分を個性と呼ぶ。

ただよくある問題は、このプラスアルファの部分をいかに輝かせるかというポイントをゴールにしがちになることだ。音楽的なドラムを叩くことを無視し、先に自分の演奏スタイルややりたいことだけを強調することは、必ず避けたい。

自分自身がドラマーのため、今回は「ドラマー/ミュージシャン」という内容になったが、この話は全ての楽器に当てはまる。ギター、ベース、ピアノ、キーボード、サックス、トランペット、トロンボーン、当然のことながらヴォーカルにも。

あくまで、ミュージシャンという意識を持った上で、それぞれの楽器を学んでいく方が、ミュージックビジネスの中でもそれぞれの楽器のプロフェッショナルとしての表現が、無限大に広がりやすくなる。別にプロを目指してない人に対してもまったく同じことで、バンドなどで他の人間と合わせる時などにこのような意識を持つことで、必ず尊重されるに違いない。

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尊敬するノーキー・エドワーズ氏との足跡

with Nokie Edwards
with Nokie Edwards

ドラムを始めたきっかけ・原点となる音楽は、あのテケテケサウンドでお馴染みのザ・ベンチャーズだ。一言で言い表せないくらい、このベンチャーズというバンドは年代とメンバーによって様々なカラーを魅せてくれる。そしてメンバーとしてのドラマーも複数名いる。

初代ドラマー、ジョージ・バビット氏から始まり、ホーウィー・ジョンソン氏、ジョー・バリル氏と素晴らしいドラマーがいたが、大きく分けて3代目オリジナルドラマーの故・メル・テイラー氏と、メル・テイラー氏の息子である現在のドラマー、リオン・テイラー氏のプレイは似ているポイントもありつつ、グルーヴの種類から異なっていて非常におもしろい。

幸運なことに若い頃から、この2人のプレイを含めてベンチャーズ音楽の詳細を学ぶ機会に恵まれたため、様々なベンチャーズのサウンドスタイルからの影響を大いに受けることが出来た。そして日本滞在中に、ザ・ベンチャーズのオリジナルギタリスト、ノーキー・エドワーズのバックドラマーを務めることになる。

海外ではどんな現場でも、ちょっとしたモノマネをしても見向きをされない。最近出来るようになったような誰かのフレーズをちょこっと入れ込んでも喜んでくれない。それよりも、その時に思い浮かんだ、こんなところでこんなことをしてしまおう・・・と言うような自身の思考で叩いたほうが100倍評価される(もちろんタイムに全然ハマらなかったり、曲に合わなすぎると拍手は起きない)。

基本的に~Who You Are~、まさにあなた自身の~Vocabulary(音楽での言葉遣い)~を求められている。

僕自身も自然とこのアプローチで演奏する体になるための意識と練習をしてきたため、ノーキー氏とのリハーサルまでは、あえてメル・テイラーやリオン・テイラーのプレイを聞き直し、再度研究し直すことはしなかった。

もちろんベンチャーズは大好きで憧れのアーティストのうちの1つだ。昔から聞いてる音楽なので、だいたいの曲は頭に入っている。ただ、自分自身はベンチャーズマニアではなかった。

〇〇マニアや〇〇オタクであることは、そのエリアでの専門的知識能力は勝る。しかし、現場での正しい対応には一切結び付かない。

今のこのタイミングで自分自身がやるべきことは、常に海外生活をしてきた中で、色々な音楽が体に染み付いた現在の自分ならどういうアプローチになるか・・・ということだと自然に理解した。

現時点での自分のバックグラウンドによって、同じ音楽ジャンルでも、数年前や数ヵ月前とはアプローチが異なってくる。そこから生まれる自分自身の何だかのInspriration~インスピレーション~と、サポートさせてもらうアーティスト本人の現在のスタイル/フィールと噛み合わせる作業が常に最重要事項だと感じる。

後にご本人との会話からでも分かった事だが、このタイプの現場では、メル氏やリオン氏のクローン人間を求められているわけではない。

ご本人から特別なリクエストがない限り、現在のノーキー・エドワーズ氏のスタイルやフィールに合わせることが、楽曲をグルーヴさせることへの最重要事項となる。

ご本人との雑談中には、こんな事を述べていた。

「この年齢になると、当然昔ほどのエナジーを出せない時もある。60年代のようなバリバリの速さとエナジーで攻める演奏を聴きたいファンもいるかもしれないが、現在の違う感じのわたしのプレイも楽しんでほしいんだ。指の調子は絶好調だしね(笑)。そんな今だから、ちょうど君のLaid Back(ゆったりした)グルーヴ感がすごく僕に合っているように感じるよ」

この言葉のおかげで、自分自身の演奏スタイルのConfidence~自信~の向上から、更に確信へと繋がったわけだが、ちょうどノーキー氏とやらせてもらうまでは、主にロサンゼルスで黒人のプレイヤーとTop40のショーバンド、ミュージカルの仕事や、Funk系統の音楽のプロジェクトに参加することが多かった時期。やはり明らかにタイム感は後ろ気味になっていた。そんな時のノーキー氏とのショーだったので、ある意味良いタイミングだったのかもしれない。

 

~余談で、このブログの内容に関連するような素敵な会話をしたことを思い出したのでご紹介したい~

ロサンゼルスにいるときは良く出向く、ハリウッドにある有名老舗ライブ・バー、The Baked Potato(ザ・ベイクド・ポテト)。裏口では毎日のように色々なミュージシャンと話をした。

中でも、当時必ず演奏を見に行っていた、ポール・マッカートニーのバック・ドラマー、Abe Laboriel Jr.(エイブ・ラボリエル・ジュニア)氏との会話で、良く本人が語ってくれた内容だ。

「僕は最初、ポールと会って話をした時、ポールは僕のパーソナリティ、そして僕のドラミングを気に入ってると言ってくれたんだ。ポールは、リンゴ・スターのそっくりさんやリンゴ・スターと同じように叩ける代行ドラマーを探してるわけじゃなかった。現在のポールの楽曲を気持ち良く叩ける人を探してたんだ。だからリハーサルまでの期間は、あえてリンゴ・スターのプレイを集中して聞き直し、勉強し直したりはしなかった。ビートルズの他3人のメンバーの演奏に集中して、僕ならこう叩くっていう想像をしたんだ。もし、ウェディングやパーティ、レストランなどで演奏する、ビートルズのコピーバンドやモノマネバンドの仕事だったら、徹底してリンゴ・スターを研究して真似るだろうけど、今回はまったく状況が違うからね。なんと言ってもポール本人とやるんだから。~現在~の本人に合わせないと意味がないと思って取り組んでいるよ」

with Abe Laboriel Jr.
with Abe Laboriel Jr.
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憧れ

自分とは違う人種・・・例えば黒人に憧れる。黒人のグルーヴ感を、フィールを、リズム感を得たい・・・などなど。憧れが強ければ強いほど、こういったところを自分自身のゴールに設定する人が多いかもしれないが、真似をするところをゴールにしない方があとあと役立つ。

その憧れの人がどういう気持ちで、どういうバックグラウンドで、どういうインスピレーションを受け、そういう風に演奏をしているのか・・・詳細な深いところを理解した上で、憧れから得た何かを、自分の個性や自分が音楽を通して述べたいことと、絡ませた上で放出・表現をすることがゴールとなる。

自分の憧れの人を追うことはおかしくないが、追いすぎると単なる追っかけファンになるだけである。あくまでミュージックビジネスなので、自分自身の何だかのプレゼンが必要不可欠になる。

この辺りの度合いを超過してしまうと、真似てることをただ披露するだけとなり、演奏がものすごくつまらなくなってしまう。よく現場では、~誰々のようなテイストを少し入れて欲しい~などと求められることはあるが、~誰々のクローン人間~などとは求められない。

1つの例として少し深く辿ると、そもそも、南北戦争を経た後に自由を手に入れ、奴隷解放によって仕事を求められた黒人たちがそこから生活をしていくために、ダンスホールや酒場などのBGMとして歌ったり、楽器演奏をして生活し始めたわけである。

家族を持つ者が1日ほんのわずかな収入を得るために、必死に演奏していた気持ちははかり知れないほどの力強さであることは、言うまでもなく強く感じる。しかし、これとまったく同じ感情や気持ちは理解は出来ない。

なぜなら、自分自身が実際に経験したことではないからだ。このように、実際にその人が味わったり経験した環境から生まれる特別なフィールなど、当然その瞬間を生きた人間以外に表現することは出来ない。

もちろん音楽理論的には、音符の歌い方や裏拍の取り方など、それぞれの国の文化や環境などから影響された、やり方の違いはそれぞれの国や人種に存在する(打楽器だけに限らず)。

あくまで、歴史的学習や現地での文化を体感することによって、自分が憧れるそれ/その人に近いものを表現することは出来るというだけである。

その先、憧れの人のようになること/似ることを目指すよりも、上記で述べた通り、憧れの人間のバックグラウンドやヒストリー、そして思考に関して学んで消化した上で、自分自身が現在置かれている状況・生活環境・人生の中から良いもの・悪いもの全て含めた様々なインスピレーションを得てから、自分という要素を放出するほうが、~オリジナル~に辿り着きやすい。

誰か/何かに影響を受けている時点で、勝手にその人に似ていくもの。あえてマネしようとしなくても勝手に似ていくものだ。

単なる憧れで終わらないように、憧れという要素を自分という名のフィルターを通し、ある程度自分の色に浄化させて、様々な影響を受けて変化していく自分自身を表現していく=放出していくという意識を常にしていきたい。

勝手な先入観によって引き起こされる憧れ

○○の国の人だから・先輩/後輩だから・○○の人だから・・・というような勝手な先入観から生まれる要素が要因で、憧れが芽生えることももちろんある。

特に日本は、見た目から入り込んでいくことが特徴の国民性だ。そのため、その人の考え方や生き方など、詳細を大して知らないまま、そして知ろうとしないまま追っていくことほど残念でもったいないことはない。   

同時に、社会的地位やネーム・バリューなどの◯◯バリューを基準に、ビジネス要素しか考えずに人を見ることを止めたほうが、自身の音楽世界観も倍に広がる。

なぜならどこの国に行っても、プロと名乗る人間より、帰り道で偶然見かけたストリートミュージシャンの子供の方が、素敵なフィールを持っているという現象も良く起こるからである。履歴書の内容などの、その人を保護する◯◯バリューという名の壁をぶち壊し、その人そのものの感性を感じて、もっと人間的・本質的な部分を理解していきたい。

その人の保護壁=◯◯バリューを基準に人を見ず、人間的・本質的部分をもっと知ってから憧れを持つほうが、音楽への情熱も入り込み感も恐ろしいほど深くなる。もちろんその逆、もし必然的に理由なく憧れたのなら、のちに深く知っていきたい。

せっかく得た“憧れ”という素晴らしいインスピレーションの成分は、モノマネという名のフィルターには通さないようにして、自分自身の個性の花を咲かすための肥料として吸収したい。

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音楽を続けていく理由

音楽を続けていく理由・・・それぞれ理由がある人もない人も様々。ただし、競合意識だけでやっているのなら、続けていかないほうがいい。

どちらが/誰が/誰よりも、上手いか/下手か・・・これほど音楽をつまらなくする表現要素は、これ以外に存在しない。

このポイントを基準にしていると、共演者や聴き手との間に良いVibe~ヴァイブ~が生まれるどころか、自分自身も周りの人間も共々疲れてしまい、音楽にまったく必要のない悪い空気が生まれ、音楽にならない。

まず最初に、音楽の本質的な価値観の部分から確認したい。

“ドラマー”という肩書きになると、ドラムを叩くというそのアクション、要するに身体的技術に関してどちらが上手いか下手かという競合意識が非常に芽生えやすい。

アラン氏のブログでも述べた通り、もちろん身体的な基礎技術は、あるに越したことはないが、最終的に音楽を通して自分が何を述べたいか・伝えたいか・表現したいか・・・これらの意義しか存在しない。

競合意識が心のどこかに少しでも芽生えることが原因で、自分と他の人間を比べる行為が生まれ、自己表現をするための脳の回路が止まってしまうことを避けたい。音楽に取り組んでいく上での一番有効な価値観は、上手いか下手かではなく、気持ち良いか気持ち良くないか、そして、何かを感じるかどうかだ。

僕自身の場合は小学校低学年の頃、元々人を楽しませる事に強い興味があり、一番最初に音楽に興味を持ち出した当初は歌手に憧れた。その後、色々な楽器に触れ合う機会があったのちに、最終的にドラム・セットと出会い、8ビートを叩いた瞬間に自然と感動し、ドラムの世界を冒険したいと感じた。

当然、ドラムは好きだ。ただ、元々歌う事が好きだったり、ドラム以外の楽器にも触れて音楽そのものの楽しさを味わったので、どちらかというと音楽そのものが大好きであった。

あくまで、音楽に関わっていく中で使うアイテムとして、偶然ドラム・セットとの相性が良かったからドラムを選んだという流れだった。一時期、ドラマー的な身体的技術にしか興味がない時期もあったが、最終的には、それだけだと音楽を表現することに限界があると感じた。そして、ドラムマニアではなく、音楽マニアでいるほうが視野は倍に広がると強く感じた。

基本的に、若い頃や楽器を始めたばかりの頃は、ロックスターになりたい、ただ有名になりたい、金持ちになりたい、大きな会場でライブをやりたい、テレビに出たい・・・・などと言った目標の人もいるかもしれない。

僕自身は正直こういう構想を一度も持ったことがない。なおかつ、音楽に対して一生深く取り組んでいくという意味の本質は、まったくこういう事ではない。

基本的に自分の愛する音楽ならば、隅々まで学んでいきたい。外見や表向きメディア的部分のみ意識し、目標として行動する人間に限ってビジネス要素ばかりに気を取られ過ぎて、~学び~のモチベーションが消滅する

一番残念なことは、このような内容の目標だと、達成した時点で人生の頂点に到達したような気持ちになり、それ以上の進化を望まなくなることが多いところだ。

表向きなところばかり意識すると、最初に述べた競合意識の要素しか芽生えない上で音楽に取り組んでいく形になってしまう。心から音楽を愛するのであれば、自分自身がどういう身分であろうと、一生かけて学んで成長していきたいと思うのが自然だ。

音楽という物体の素敵なところは、音楽をやっていることで生まれる出会い、音楽をやっている人間にしか味わえない素敵な経験、そして何よりも、聴き手に何だかのEmotional State~情緒状態~を共有することができ、何だかの感情的影響を与えられることを、喜びとして感じられることである。

そして更に、音楽に関わっていることによって得られる素晴らしい人生経験を、自分自身の~人間としての成長~にも応用していけることである。音楽をやってることが要因で、今まで気付けなかった自分の何かに気づき、自分の性格や人間性なども良い方向に変われば、これほど素晴らしい事はない。

このような本質的なポイントを感じることが出来たのは、アメリカの教会で礼拝者の人たちからかけられた言葉が自身の中ではかなり大きい。

アメリカの教会では、1日2~3時間ほどのWorship(礼拝)での、クリスチャン・ソングなどを演奏するために、外部からプロのミュージシャンを雇うというのが、ほぼ当たり前になっている。プレイヤーが実際に信仰者なのかどうかは一切問われない。僕自身も信仰者ではない。実際にほぼこれだけで生計を立ててるプレイヤーもいるくらいだ。

教会での演奏の仕事を始めてから数年経った頃、礼拝に来ていた白人男性からかけられた、「Thank you for playing drums for us」という言葉から、Play for the People~人に向けて/人のために演奏する~という行為が、ある程度自分のものになりかけ始めたと確信出来た。

彼らからすれば、音楽は賛美に欠かせないもの。実際に聖書の中で、歌う事は祈る事、祈る事は歌う事と捉えられている。そんな賛美の中で必要不可欠な音楽を通じて、礼拝者の人たちに気持ち良く祈りに専念にしてもらいたいという気持ちで表現・演奏した自分の感情が、彼らに届いた瞬間だったと強く感じる。

 

~どんな気持ちで演奏しているか~
これは1,2を争うほど重要なことである。

音楽を演奏することに対して、ありがとうと感謝されるような言葉は、これ以前までの海外生活の中では言われたことはなかった。なぜなら・・・若い頃は、自分のためにしか演奏したことがなかったからだ。

過去の自分の演奏スタンスの全ては、①自分をカッコ良く魅せるため、②自分の地位を大きく魅せるため、③他より身体技術的に上手く魅せるためだった。

①自分をカッコ良く魅せること-は、視覚的表現要素で必要なことなので間違いではない。ただし、②と③はアンサンブルでまったく必要のない無駄な意識だ。教会で演奏するまでは、上記のような事しか考えていなかった。

そして何よりも、周りが何をやってるかなどまったく集中も意識もしていなかった・・・

相手の声を聴き、お互い聴き合う、調和する、響きあうということは、まさに音楽家の基本的思考の部分にも当てはまり、音楽的意義を見出すことが出来る。イエスは、「聞く耳のあるものは聞くがよい」と言ったとしてあるが、聞こえることと聴くことは異なる。

相手の声に集中し、心を相手に傾けなければ聴くことはできない。聴く能力を持つということは、相手の存在を認識し、相手の話を受け入れる力~受容力~を育てることであり、アンサンブルでの自己中心的演奏を阻止することにもつながる。

教会での演奏経験から、音楽を通して聴く態度と聴く大切さを学んだ。そして同時に、演奏中に周りがどういう状態か・・・聴くこと+感じて察する事も学んだ。

聴くという事に関して少し余談になるが、尊敬するノーキー・エドワーズ氏との足跡でもご紹介したポール・マッカトニーのバックドラマーを務める、Abe Laboriel Jr.氏の実の父親であり、ベーシストのAbe Laboriel Sr.氏も、

「音楽で一番大事な事は、Listening~聴く事~だ。この場合の聴くという事は主に、共に音を奏でている周りのメンバーに対してだ。とにかく周りのメンバーがどういう演奏してるか、全神経を耳に集中させてみる。すると、自分がその場で何をするべきかすぐに分かる。一番愛すべきことは聴く事だ」と、常に力強く述べている。

最後に・・・

どんな現場でも、目の前や同じ空間に自分の演奏を耳にしている人間が1人でもいる時点で、演奏者と聴き手の間でInterplay~相互作用~が生まれる。

このブログの前頭でもお話しした通り、聴き手に何だかの影響を与え、自分自身もその空間から何だかのインスピレーションを受けたい。

たとえこれがもし、聴き手にとって単なるBGMにしかならないような現場だとしても、このような姿勢で挑むことがすごく大切だと常に感じる。

常にこの姿勢を意識してやっていれば、マスターベーションの公開発表・・・要するに自分の事しか考えず、自分だけカッコよければいいという、音楽的にまったく良い効果を与えない勝手な演奏スタイルを阻止することが出来る。

常に聴き手や周りの人間とコミュニケーションを取りたいと強く思うことが、音楽で自分を表現するという事と密接な関係にある。~あくまで自己表現は、その空間で周りの何だかの要素と絡み合った上で、様々な影響力が生まれて成り立つ~

自分自身もこのように、聴き手や共演者、そして関わるアーティスト・音楽家などと更に感情的にも影響し合うことができ、様々な種類の未知のインスピレーションを得られる事を楽しみにして続けていきたい。

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8ビートの重要性

もちろん他にも16ビートや3連系のビート、様々なタイプのグルーヴのパターンがあるが、8ビートは世の中の音楽の中でも一番良く耳にする基本ビートである。

キックを1拍・3拍、スネアを2拍・4拍(バックビートと呼ぶ)に入れるシンプルな基本のビートの事を海外では、マネー・ビート(Money-Beat)と呼んでいる。要するにお金を稼ぐビートだ。実際のセッションの現場では、ドラム・ソロじゃない限り、難解なフィル・インを5分間叩き続けることはほぼないであろう。

基本のビートをどれほど気持ち良く、そしてどれだけ楽曲に合うように叩けるかで、仕事をもらうことが出来る。アメリカでは、フィル・インはエクストラ・チップで、基本のビートは基本給だと、ミュージシャンの間でよく話をする。

~シンプルな8ビートであればあるほど、すごく過小評価されがちだ。シンプルで単純なビートに関しての世間の誤解は、未だに存在する~

あまりにもビートのパターンがシンプルだと周りから、「難解なことが出来ないから初心者ドラマーなのか」、「あまり上手くないのか」などと、聴き手から思われているかもしれないと不安になるドラマーもいる。

これらの思想は無駄で、無意味な心配であり、何よりも楽曲を表現する際のマイナス要素にしかならない。まずはこの邪念を体から除去しよう。なぜなら、これらの思想は大きな間違いだからだ。聴き手側にも、上記のような捉え方をする人間がいるなら、それは間違った捉え方だ。

ドラムセットプレイヤーの一番大事なタスク・・・それは、シングルストロークを誰よりも早く叩けるようになることじゃなく、高速ツーバスを誰よりも早く踏めるようになることじゃなく、そして難解なフィルインを毎4小節づつ叩けるようになることでもない。

~その楽曲に合う、正しいグルーヴを叩くこと~だ。

僕自身が一番最初に8ビートに違和感を感じたのは、ロサンゼルスでは初めての仕事でもある、TOP40バンドのショーだった。TOP40バンドとは、ビルボードランキングでその年に売れたベスト40位内の曲を演奏するバンドだ。何年度のランキング曲をやるかはそれぞれのバンドで異なり、場合によりけりだ。

とにかく海外では、日常生活の一部に音楽という要素が当たり前のように浸透している。ちょっとしたパーティーや結婚式はもちろん、クラブやバーやレストランのBGMなどとしてビッグバンド・ジャズ、またはTOP40などの踊りやすい音楽を演奏するプロのバンドを雇うのはかなり一般的だ。

こういった場で聴いてるお客さんたちはとにかく踊りたい、体を動かしたいわけだ。週末のクラブやバーでは、なおさらそういう野望を胸に抱いて来ている人は多い。

当時そんな事にも特に気付かずに、僕は与えられた音源と譜面で約40曲を覚え、一回のリハーサルのみで本番を迎えた。初めてのTOP40バンドのショーは、かなり大きなスポーツバーのようなところだった。週末の夜ということもあってかなりのお客さんがおり、バンドが演奏を始めるときにはもうすでにみんな酒がまわっていい感じになっていた。

カウントをして曲を始めた。そして・・・もう2小説目には気付いてしまった、感じてしまった。自分の8ビートの違和感を・・・

当時の自身の8ビートは、ただ単に譜面に書かれた音符をそのまま叩いただけだ。ハイハットが8分音符で、ハイハットと同時に1拍目・3拍目にキック、そして2拍目・4拍目にスネアを叩く。あくまで手足を組み合わせた単なるパターンを平然と叩いているだけ。

要するに、1拍・3拍でハイハットとキックが同時になり、2拍・4拍でハイハットとスネアが同時になり・・・という感じで、あくまで身体的な捉え方でしかなかった。

一見それが普通じゃないのか?と思うかもしれないが、これだと音楽の本質的な部分に欠けてしまっている。その欠けてるものが何かというと、音楽に必要不可欠な3大要素、踊り・表現・歌だ。

ハイハット、スネア、キックそれぞれに、何だかの感情を注入しなければいけない。この要素がないままビートを叩いてしまうと一切音楽にはならない。

そして、譜面上の音符を組み合わせて、その通り叩けても何も感じないし、おもしろくない・・・ 聴き手の体をもっと動かさせたい・・・ こういった気持ちがこのショーの瞬間からあまりに強くなってしまったため、一つ一つじっくりと研究してきて今に至る。もちろん練習は現在も進行形だ。

ここで、この3大要素によって~自分なりの8ビートを表現するために、ハイハット・スネア・キックをそれぞれどういう捉え方をして演奏しているか~をご説明したい。あくまで僕自身の場合である。人それぞれ感じ方は異なるので、是非自分なりの感じ方を見つけてみるとすごく楽しいに違いない。

 

8ビートでの3大パート、それぞれの役割

ハイハット(右利きの場合は右手) = 自分の感情が一番良く表れ、曲のフィールや表情を決める。もちろんタイム/テンポキープの要素もあるが、それ以上にハイハットで一番大事な要素は、~自分がどう踊っているか~。要するに踊りの部分が一番反映されるパートだ。

よって、ハイハットでその曲のテンポとフィールが決まり、キックとスネアはそのハイハット軸を基準に入ってくる。(何を基準にタイムを感じているか・・・は、人それぞれ異なるので、自分なりのタイムの感じ方を知ることが最重要である)

音色的には、どこの拍に/何打目に/どれくらい*Intensity(インテンシティー)*(以下参照) やアクセントをつけているのか。ダイナミックス(音量)はどれくらいか。表拍がどれくらい強かったり弱かったり、裏拍がどれくらい強かったり弱かったりするのか。全音フラットで一定の音色なのか。などなど・・・

これ以外にも言葉ではなんとも表現出来ないような叩き方もするであろう。

ハイハットを叩く時に、その曲の持つイメージや表情と、自分の感情との間で相互作用が起きることによって、表情がついた8ビートが生まれる。そして何よりも体の動き・・・体がどう踊っているかが、このハイハットと連動してくる。

そのため、ハイハットを叩く右手から右半身にかけての動きが基盤になって、その楽曲上での踊り方・体の動きが生まれていると言っても過言ではないと感じる。

日本では目にする場所が限られて分かりにくいかもしれない。ただ、ドラムを叩く時の体の動きは、アメリカでTop40バンドやビッグバンドなどのお客さんを踊らすことが目的のショーをやってる時に、目の前のお客さんの~踊り~を見ていたら、自然に体が動くようになった。

その楽曲での踊り方をイメージ出来れば、自然とハイハットから気持ち良くなり、すごくドライブし、ノリの良いビートを叩くことが出来る。音楽には必ずなんだかの踊りが存在する。その部分とすごく密接な関係にあるのが、ハイハット(右手/右利きの場合)だ。

スネア = 自分の気持ち良い*ポケット*(気持ち良い/絶妙な叩くタイミングのこと)「ポケットについて」のブログで詳細説明←(ここをクリック) に入れることだけに集中する。基本的にその曲の雰囲気に自分自身が入り込めていれば自然と曲に合うポケットに入るので、あえて意識的に早く叩いたり、遅く叩いたりしようとはしない。

スネアを叩くタイミングを意識し過ぎると、その楽曲に合うポケットに逆に入りづらくなってしまう。意識が強すぎると、意外とタイミングが早くなり過ぎたり、遅くなり過ぎたりと、自然じゃなくなってしまって気持ち良くなりづらいからだ。

もちろんスネアの正しい*Placement(プレイスメント)*(以下参照)、要するにクリックに対してジャストのタイミングを理解した上で、ポケットは感じることが出来る

唯一、スネアのタイミングに少々の調整をかける時がある。それは、シンガーの歌い方がタイムに対してかなりの度合いで、前のめり(ハシり気味)、または後ろ寄り(溜め気味)の時だ。要するにシンガーのタイム感の癖がすごく強い場合のシチュエーションだ。

僕の場合は、ライブなどでも限りなくシンガーを見ていたい。なぜなら、息を吸うタイミングを見ていれば、スネアがどのタイミングに入れば歌いやすいか感じられるからだ。そして自分自身も真似るように、そのシンガーと同じ息遣いをすれば、すごく良く絡むことが出来る。

当然、楽曲のイメージによって歌い手の人はあえて溜め気味にしてきたりもする。それにドラマーもついていくのか・・・ついて行かずにオンタイムで前気味にキープしていくのか・・・これはその時によりけりだが、大きく分けてこの2つの選択肢が存在する。楽曲のイメージに合う方を選びたい。

基本的にスネアはメロディーが存在する中で、都合のいいタイミングにハメる。ということは、自分自身も叩きながら何だかの歌を歌ってることになる。スネアは歌の部分とすごく関わりが深いパートだと感じている。

*ひとつ気を付けなければいけないことは、自分の中で感じてる気持ち良いポケットと実際に手が動いてる感覚には意外と誤差がある場合があるというところだ。その差をどれだけ埋めていけるかが、大事な練習課題のひとつだ。この場面でも、ロサンゼルスの師匠たち②グレッグ・ビソネット氏のブログでご説明している、セルフ・アナライジングの作業がかなり有効になる。

キック = 特に変な癖もなく、メトロノームに対してジャストにハマっているのが理想で、基本的に意識しない。上記のハイハットとスネアは、感情的に動くパートなので、常にタイムに波(ハシる要素やモタる要素)が生まれている。

そのため、グルーヴを叩く時の体の3大パート((右手、右足、左手(左足は空動きをする場合あり))の中でどこか一ヵ所は、完全ジャストにハマってないとタイムの基本軸がなくなり、タイム・キープが出来なくなってしまう。

キックはこの体の3大パートの中で唯一、ジャストのタイミングで、いい意味で個性がないほうがバランスを取りやすい。

もちろんキックを軸にタイムを感じる人もいるが、僕の場合はどうしても気持ち良くなれなかった。人によって感じ方は違うので、もちろんキックを軸に全体のタイムを感じても素敵だ。

例えば、Chris BottiやDavid Sanbornのドラマーでもお馴染み、Billy Kilson(ビリー・キルソン)氏は、「ロックやポップスなどでは、キックとスネアの2パートでタイムを感じ、ハイハットはお遊びの部分。ジャズ系では1番にライドシンバル、2番にハイハットという2パートでタイムを感じている」と、常に力説している。あくまで自分なりの感じ方を探ることが重要で、楽しみの一つでもある。

 

*Intensity(インテンシティー)* = 力強さ、強度、集約度、厚み、深く(感じること)、という意味合い。

・アクセント=音の大きさ / インテンシティー=音の強度、厚み(音圧)。

・アクセントはつけてなくても、その1打に全身全霊を集中させて大事に叩くイメージ。

・アクセントとはまったく違う表現法。海外では、音楽の場ですごく頻繁に使う言葉。

・フィール/タイム面のお話では、例えばタイムがLaid Backしてジャストより後ろにいつつ、バンド全体を引っ張る力も共存している状態であること。

 

*Placement(プレイスメント)* = 音符のハマる本来の正しい位置・タイミングのことを言う。基本的に前気味や後ろ気味などの個々のフィール・感覚的意味合いを指すことはない。当時よく、「3連符の3打目のPlacementがおかしい」、などと指摘されたことがある。これはただ単に、3連符の3打目を叩くタイミングそのものが、通常よりずれているという意味合いだ。自分なりのフィールを放出していく前に、まずクリックに対してジャストで、全ての音符を正しい位置(ある意味で個性のない)にハメることが重要になってくる。

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ドラム・音楽の中でのポケットについて

8ビートや16ビート(その他のグルーヴ・パターンも含む)などの、バックビート~2拍目と4拍目のスネア~を叩く時の、気持ち良い/絶妙なタイミングのことだ。

もちろんバックビート以外のフィルインなどでも同じくポケットというものは存在する。とにかくスパっとハマる気持ち良いタイミングが存在する。

そしてもちろん、人によってそのタイミングの感覚は違う。ただし、大多数の人間が気持ち良く感じるポケットは、大体以下の内容の枠内に収まっている。

メトロノームと演奏した時、2拍目、4拍目のスネアと共にメトロノーム音が聞こえなくなる/消し去られる、ジャストのタイミングがあり、このジャストのタイミングの0.01秒の中に、更に細かいポケット枠が存在し、この細かいポケット枠の後ろのあたりが、基本的に聴き手にも気持ち良く聞こえるポケットのようだ(あくまで一般的に)。

言葉で説明するとなんのこっちゃと思うかもしれないが、簡単に言うと、~メトロノームと噛み合うジャストのタイミング内の少し後ろのあたり~というイメージだ。

この、人によって異なってくるであろう、細かいポケット枠内でスネアを叩くタイミングこそ、打楽器は勿論のこと、音楽で一番重要な自分の個性となる。

これだけは強く言いたい・・・リズム感のない人間など存在しない。自分の体内に生まれつき備わっているタイム感やタイムの癖を片っ端まで理解しようと意識し、もし演奏時にバンドやメトロノームと不快なほど合わなければ、調整をしていくことで生まれつき備わっているリズム感/タイム感が洗練されていく。

リズム感に関しては、元々体内にあるものを調整していくという流れになる。

それでは、非常に感覚的要素が強い話になるが、人間の体内に元々眠っているリズム感/タイム感の覚醒方法を以下に書いてみた。

意識方法:

~メトロノームに対してジャストで叩く事が出来る上で、ポケットは生まれてくる~

まずは細かいことは考えず、8ビートの2拍目・4拍目のスネアを、メトロノームに対してジャストに叩けるように練習した上で、先ほど言った、ジャストの中の細かいポケット枠=ある程度クリック音が消えてくれる枠内で気持ち良いタイミングを探る。最初はなるべく遅いテンポでやった方が効率的。

*上記で書いた、細かいポケット枠を探る時に、もし自分でもどのタイミングが気持ち良いのか分からないなら、頭の中で、誰か好きな/気持ち良いと感じるドラマーのスネアのタイミングやグルーヴ感を集中して聴いてみよう。そして、ドン・タン・ドド・タン・・・などと、カウントではなくドラム音を口に出して歌い、その感じを真似してみる。

何となくまとまったら、実際に先ほど歌った感じを実際に叩いて再現してみる。そして、ある程度自分の中で気持ち良いタイミングで叩けているように感じたなら・・・ここからが本題になる。

果たして、ライブでのオーディエンス/聴き手や一緒に演奏してるバンドメンバーにも、自分が練習で感じた気持ち良いポケットの感覚通りに聞こえているのだろうか・・・また、体内で感じてるタイミング通りに叩けているのだろうか・・・

もしもそうじゃなかったら、自分だけ勝手に気持ち良いだけで、マスターベーションの公開発表になってしまう。ここで再度、グレッグ氏のブログでも紹介した、セルフ・アナライジング(自己分析・解析)の作業が非常に有効になってくる。

この時にやるセルフ・アナライジングでは主に、~自分のプレイを第3者として聞いた時に、体内で気持ち良いと感じたタイミングと、実際に叩いた出音のタイミングが一致しているか~である。体内時計と出音の感覚一致を目指す。僕自身も常にここを目指している。

最近日本でもドラムクリニックをやり、日本でも知られ始めた、Benny Greb(ベニー・グレブ)氏も、「自分の体内で気持ち良いと感じるポケットと、実際に叩いて出してる音とのタイミングの誤差を出来る限りなくすことが将来的なゴールだ」と、常に述べている。

現代の音楽ではだいたいの場面で、メトロノームに対して大きく前のめり気味や後ろ気味など、注文されることはかなり減ったと感じる。この先更にDTM等、コンピューター技術が発達していくだろうから、機械には表現出来ない、生の人間にしか出せない独特のタイミングやフィールなど、生身の体から出てくるおもしろいものはこれからも大事にしていきたい。

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