ドラマー or ミュージシャン

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~あなたはドラマーになりたいのか、それともミュージシャンになりたいのか~

Do you want to be a DRUMMER? 
Or 
Do you want to be a MUSICIAN?

 

アメリカに住み始め、様々な師匠たちに巡り合う事が出来て、様々なことを教わったわけだが、ほとんどの師匠から共通して言われたのがこの言葉だ。

ドラムビジネスではなく、ミュージックビジネスの観点からドラムセットという楽器を捉えることが、最重要だと常に周りから教わった。

最初に注意事項として、これはどちらが良いか悪いかという論点ではなく、ただ単に意識の方法である。

海外の人間がよく言うドラマーの解釈は、「ドラマーはドラマーという1人の技術者という感覚であり、~叩くということ~に関する身体的な技術の部分のみを追究する者」。

一方、ミュージシャンという表現では、よく“音楽的なドラマー(Musical Drummer)”と表現されるが、ドラムセットという楽器を使って、音楽・楽曲を輝かせることができるドラマーということになる。

この曲ではどういうドラムを叩けば、曲がかっこよくなるか、ヴォーカルがかっこよく聴こえるか。実際に叩くグルーヴやフィルイン(おかず)のパターンなどは、あくまでその曲に合うから叩くわけであって、自分のドラム的都合で叩くわけではない。

このようなアプローチでは、自分1人の力ではなく、バンドメンバーやオーディエンスを含む、その場で音楽に関わる人間との相互作用によって、1曲を成り立たせるということになる。

そのため、装飾的で派手なフレーズばかり叩いて、自分が一番目立ってやろうというマインドになったらおしまいだ。その曲に合う=正しいアプローチを心がけたい。そして、その曲にどんぴしゃりで合う内容を叩けた時には、楽曲・ドラムと共に輝く。

自分自身も楽曲第一のアプローチになってから、師匠たちから「ミュージシャン」という表現をしてもらえるようになった経緯がある。

 

ある意味自然な事かもしれないが、特にドラムをやり始めた頃は、とにかく速くてかっこいいフレーズや派手な技をやることばかり目指しがちになる。ただ、音楽に関わり続けていくにつれ、様々なジャンルの音楽や人種と共に音楽を演奏するようになれば、「ドラマーかミュージシャンか」という意識の違いは、重要な基本思考だと感じるに違いない。

例えば、誰がスティックの持ち方を気にするだろうか・・・ 気にするのは周りのドラマーだけで、他の楽器の人間はそんなこと一切気にしない。

このようにドラムセットという一種の楽器である以上、当然奏法に関する批評は存在する。ただこれはあくまでドラマーの世界の中だけの話であって、もっと広い視野で音楽という世界から見ると、もの凄く小さな議論だ。本来個々のミュージシャンが意識するべきことは、ドラム批評ではなく音楽批評のほうだ。

結局、ビジネスで関わる人間の数では、ドラマーより他の楽器の人間の方が多い。ドラム的批評ばかり気にしていると視野が狭まり、音楽的批評を意識する余裕がなくなる。そのため、共に音楽を創り上げていく上で、バンドメンバーがドラマーに求めていることに気付きにくくなる。 

 

音楽の現場で、~ドラマーとミュージシャン~ この2つの解釈では何が違うのか・・・

まずは、ドラマーとミュージシャンの解釈の違いを他の分野で例えてみる。

例えば、とある国の言語に興味があって勉強する。分かりやすく英語に例えてみる。TOEICやTOEFLで満点を取れるほど勉強していれば、ある程度の日常英語からビジネス英語まで読み書きが出来るようになるであろう。ただしそのアカデミックな内容以外には、同じ英語圏の国の中でも、その地域独自の細かいイントネーション、アクセント、抑揚、そしてスラングなどが存在する。

英語で言うならば、同じアメリカ合衆国でも大きく分けて、ハワイ州、西海岸、東海岸、アメリカ大陸中央部などでは、見事に発音が異なる。ハワイ州でずっと通じていたニュアンスのまま、ニューヨークで現地の人間と最初に話すと、うまく通じない言葉がいくつも存在する。更にそれをロサンゼルスで応用すると、また別に通じない言葉が存在したりする。

過去に勉強した英語の教科書通りの文章だけでは通用しないことを痛感させられた。

もう1つの例として、車の運転ではどうだろうか。

例えば、単に運転が上手いのと安全な運転が出来るのとでは意味が違ってくる。いくらアクセルやブレーキの使い方がうまくて、車線をはみ出さずに走れて、車庫入れや縦列駐車が上手く出来ても、いざ公道で100%安全に走行出来るかというと、それは分からない。公道で遭遇する可能性のある様々な事故や危機を予想したり、回避しようとする意識と技術の方が、実際の運転では役立つ。何よりも車の運転という事柄でのメインポイント~安全~という要素に寄り添えているかが重要になってくる。

言語に関しては、音楽のジャンルやスタイルの基礎を学ぶ時と同じで、本当にその言語の詳細まで深く学びたいと感じた時には、その言語を使っている国そのものに関して知りたいと強く感じるはずだ。その国の歴史、特徴、文化、風習、人間性、国民性、長所、短所などから、その言葉のニュアンスに隠されたヒントが分かる。

どちらの例に関しても共通するのは、実際の現場で役立つのかどうかである。

 

まったく同じことが音楽にも当てはまる。身体的技術が完璧なドラマーと、楽曲をかっこよく聴かせるドラマーとでは大きく異なる。プロの仕事の現場や、例え初心者の人がバンドをやる時の練習時であっても、その場での正しい対応やレスポンスに繋がるのは、紛れもなく後者~楽曲をかっこよく聴かせるドラマー~となる。

だからと言って、身体的技術が不要ということではない。特に手足のスピードに関しては、卓越したような要素は音楽的なドラムを叩くためにはほぼ必要ないが、もちろん基本は必要である。

これら2つの要素両方を非常にバランス良く持ち合わせているのが、世界を代表するドラマー、Vinnie Colaiuta(ヴィニー・カリウタ)氏などだ。また、身体的技術がものすごく卓越しているわけではないが、楽曲をピカイチに輝かせて聴かせるドラマーとしては、Steve Jordan(スティーブ・ジョーダン)氏などが挙げられる。まったくスタイルの違うドラマーだが、両ドラマーに共通しているポイントは、楽曲の事を最優先して考えるところだ。

決してどちらが良いか・悪いかではなく、まず楽曲が必要とする最低限必要な音楽的ドラミングの要素を叩くこと、そして楽曲を邪魔しないことを基本に、プラスアルファの部分で自分的な事をやるのが通常だ。このプラスアルファの部分を個性と呼ぶ。

ただよくある問題は、このプラスアルファの部分をいかに輝かせるかというポイントをゴールにしがちになることだ。音楽的なドラムを叩くことを無視し、先に自分の演奏スタイルややりたいことだけを強調することは、必ず避けたい。

自分自身がドラマーのため、今回は「ドラマー/ミュージシャン」という内容になったが、この話は全ての楽器に当てはまる。ギター、ベース、ピアノ、キーボード、サックス、トランペット、トロンボーン、当然のことながらヴォーカルにも。

あくまで、ミュージシャンという意識を持った上で、それぞれの楽器を学んでいく方が、ミュージックビジネスの中でもそれぞれの楽器のプロフェッショナルとしての表現が、無限大に広がりやすくなる。別にプロを目指してない人に対してもまったく同じことで、バンドなどで他の人間と合わせる時などにこのような意識を持つことで、必ず尊重されるに違いない。

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