音楽の本質的部分とは

音楽の本質的部分 = 感情の共有と感情の相互作用 

*聴き手に何らかの感情的影響を与え、自身も聴き手からのテンションやムードなどから何らかの感情的影響を受けること。

*音楽の定義の1つで、“音による時間の表現”と言われてるように、時間=(打楽器で言う)リズム・タイム・グルーヴなどを指すわけだ。そうなると打楽器の場合は、どのような気持ちで/どのような感じで/どのような雰囲気で、そのコンスタントなリズムを奏でるのかということが全ての論点となる。

 

この時点で、人間に様々な影響を与えるためには、手足のすごい技以前に感情的要素が必要不可欠であることは一目瞭然である。

これらの事柄が常に頭に入っていれば、必ず自然に音楽的なドラムを演奏することが出来る。

もしもドラムセットという楽器を“音楽の一部”として見れているならば、当然のことながら演奏を聞けば、自然と体が動いてくる。

演奏者・聴き手どちらにも言えることだが、ドラムセットという単体のソロ楽器だと構えて捉えるがゆえに、音楽そのものとの関連性がないひとつの道具として見てしまい、単なる派手な見せ技を追求することだけが目標となりがちだ。

あくまでドラムセットという楽器は、アンサンブルの中での共演者や聴き手との間での相互作用によって、そしてドラマーが何らかの感情を注入しながら演奏することによって、曲の中で輝く

例えば、このような事をまったく考えていないドラマーがバンドの中に入って曲を演奏すると、周りのバンドメンバーが例え生身の人間であっても、周りを聞こう・感じようとする意識がないため、CDに合わせて叩いてるようにしか聞こえなく、音楽性に欠ける。

ドラムセットやその他打楽器に関しては特に、自身の感情が表に出やすい。なぜなら、誰でも叩けばすぐに音を出せる楽器だからだ。ということはイコール、それだけダイレクトに自分の感情を注入しやすい楽器ということだ。

怒りながら叩けば、とげとげしい音色が出る。優しい気持ちで丁寧に叩けば、マイルドで耳に刺激が少ない音色が出る。まずこの楽器にこういった特色がある時点で、そのドラマーから湧き出る質感と感性、そしてノリの部分が自然に、聴く人や観る人に様々な影響を及ぼしやすい楽器ということになる。

もしも楽器という物を単なる技術の塊としか見れていない場合、あくまで技の発表にしかならない。その人間が楽器を通して発する独特の空気感や感情の放出、表現などを“感じる”ということが、全ての芸術分野において必要不可欠となる本質部分だ。

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ドラマー or ミュージシャン

~あなたはドラマーになりたいのか、それともミュージシャンになりたいのか~

Do you want to be a DRUMMER? 
Or 
Do you want to be a MUSICIAN?

 

アメリカに住み始め、様々な師匠たちに巡り合う事が出来て、様々なことを教わったわけだが、ほとんどの師匠から共通して言われたのがこの言葉だ。

ドラムビジネスではなく、ミュージックビジネスの観点からドラムセットという楽器を捉えることが、最重要だと常に周りから教わった。

最初に注意事項として、これはどちらが良いか悪いかという論点ではなく、ただ単に意識の方法である。

海外の人間がよく言うドラマーの解釈は、「ドラマーはドラマーという1人の技術者という感覚であり、~叩くということ~に関する身体的な技術の部分のみを追究する者」。

一方、ミュージシャンという表現では、よく“音楽的なドラマー(Musical Drummer)”と表現されるが、ドラムセットという楽器を使って、音楽・楽曲を輝かせることができるドラマーということになる。

この曲ではどういうドラムを叩けば、曲がかっこよくなるか、ヴォーカルがかっこよく聴こえるか。実際に叩くグルーヴやフィルイン(おかず)のパターンなどは、あくまでその曲に合うから叩くわけであって、自分のドラム的都合で叩くわけではない。

このようなアプローチでは、自分1人の力ではなく、バンドメンバーやオーディエンスを含む、その場で音楽に関わる人間との相互作用によって、1曲を成り立たせるということになる。

そのため、装飾的で派手なフレーズばかり叩いて、自分が一番目立ってやろうというマインドになったらおしまいだ。その曲に合う=正しいアプローチを心がけたい。そして、その曲にどんぴしゃりで合う内容を叩けた時には、楽曲・ドラムと共に輝く。

自分自身も楽曲第一のアプローチになってから、師匠たちから「ミュージシャン」という表現をしてもらえるようになった経緯がある。

 

ある意味自然な事かもしれないが、特にドラムをやり始めた頃は、とにかく速くてかっこいいフレーズや派手な技をやることばかり目指しがちになる。ただ、音楽に関わり続けていくにつれ、様々なジャンルの音楽や人種と共に音楽を演奏するようになれば、「ドラマーかミュージシャンか」という意識の違いは、重要な基本思考だと感じるに違いない。

例えば、誰がスティックの持ち方を気にするだろうか・・・ 気にするのは周りのドラマーだけで、他の楽器の人間はそんなこと一切気にしない。

このようにドラムセットという一種の楽器である以上、当然奏法に関する批評は存在する。ただこれはあくまでドラマーの世界の中だけの話であって、もっと広い視野で音楽という世界から見ると、もの凄く小さな議論だ。本来個々のミュージシャンが意識するべきことは、ドラム批評ではなく音楽批評のほうだ。

結局、ビジネスで関わる人間の数では、ドラマーより他の楽器の人間の方が多い。ドラム的批評ばかり気にしていると視野が狭まり、音楽的批評を意識する余裕がなくなる。そのため、共に音楽を創り上げていく上で、バンドメンバーがドラマーに求めていることに気付きにくくなる。 

 

音楽の現場で、~ドラマーとミュージシャン~ この2つの解釈では何が違うのか・・・

まずは、ドラマーとミュージシャンの解釈の違いを他の分野で例えてみる。

例えば、とある国の言語に興味があって勉強する。分かりやすく英語に例えてみる。TOEICやTOEFLで満点を取れるほど勉強していれば、ある程度の日常英語からビジネス英語まで読み書きが出来るようになるであろう。ただしそのアカデミックな内容以外には、同じ英語圏の国の中でも、その地域独自の細かいイントネーション、アクセント、抑揚、そしてスラングなどが存在する。

英語で言うならば、同じアメリカ合衆国でも大きく分けて、ハワイ州、西海岸、東海岸、アメリカ大陸中央部などでは、見事に発音が異なる。ハワイ州でずっと通じていたニュアンスのまま、ニューヨークで現地の人間と最初に話すと、うまく通じない言葉がいくつも存在する。更にそれをロサンゼルスで応用すると、また別に通じない言葉が存在したりする。

過去に勉強した英語の教科書通りの文章だけでは通用しないことを痛感させられた。

もう1つの例として、車の運転ではどうだろうか。

例えば、単に運転が上手いのと安全な運転が出来るのとでは意味が違ってくる。いくらアクセルやブレーキの使い方がうまくて、車線をはみ出さずに走れて、車庫入れや縦列駐車が上手く出来ても、いざ公道で100%安全に走行出来るかというと、それは分からない。公道で遭遇する可能性のある様々な事故や危機を予想したり、回避しようとする意識と技術の方が、実際の運転では役立つ。何よりも車の運転という事柄でのメインポイント~安全~という要素に寄り添えているかが重要になってくる。

言語に関しては、音楽のジャンルやスタイルの基礎を学ぶ時と同じで、本当にその言語の詳細まで深く学びたいと感じた時には、その言語を使っている国そのものに関して知りたいと強く感じるはずだ。その国の歴史、特徴、文化、風習、人間性、国民性、長所、短所などから、その言葉のニュアンスに隠されたヒントが分かる。

どちらの例に関しても共通するのは、実際の現場で役立つのかどうかである。

 

まったく同じことが音楽にも当てはまる。身体的技術が完璧なドラマーと、楽曲をかっこよく聴かせるドラマーとでは大きく異なる。プロの仕事の現場や、例え初心者の人がバンドをやる時の練習時であっても、その場での正しい対応やレスポンスに繋がるのは、紛れもなく後者~楽曲をかっこよく聴かせるドラマー~となる。

だからと言って、身体的技術が不要ということではない。特に手足のスピードに関しては、卓越したような要素は音楽的なドラムを叩くためにはほぼ必要ないが、もちろん基本は必要である。

これら2つの要素両方を非常にバランス良く持ち合わせているのが、世界を代表するドラマー、Vinnie Colaiuta(ヴィニー・カリウタ)氏などだ。また、身体的技術がものすごく卓越しているわけではないが、楽曲をピカイチに輝かせて聴かせるドラマーとしては、Steve Jordan(スティーブ・ジョーダン)氏などが挙げられる。まったくスタイルの違うドラマーだが、両ドラマーに共通しているポイントは、楽曲の事を最優先して考えるところだ。

決してどちらが良いか・悪いかではなく、まず楽曲が必要とする最低限必要な音楽的ドラミングの要素を叩くこと、そして楽曲を邪魔しないことを基本に、プラスアルファの部分で自分的な事をやるのが通常だ。このプラスアルファの部分を個性と呼ぶ。

ただよくある問題は、このプラスアルファの部分をいかに輝かせるかというポイントをゴールにしがちになることだ。音楽的なドラムを叩くことを無視し、先に自分の演奏スタイルややりたいことだけを強調することは、必ず避けたい。

自分自身がドラマーのため、今回は「ドラマー/ミュージシャン」という内容になったが、この話は全ての楽器に当てはまる。ギター、ベース、ピアノ、キーボード、サックス、トランペット、トロンボーン、当然のことながらヴォーカルにも。

あくまで、ミュージシャンという意識を持った上で、それぞれの楽器を学んでいく方が、ミュージックビジネスの中でもそれぞれの楽器のプロフェッショナルとしての表現が、無限大に広がりやすくなる。別にプロを目指してない人に対してもまったく同じことで、バンドなどで他の人間と合わせる時などにこのような意識を持つことで、必ず尊重されるに違いない。

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8ビートの重要性

もちろん他にも16ビートや3連系のビート、様々なタイプのグルーヴのパターンがあるが、8ビートは世の中の音楽の中でも一番良く耳にする基本ビートである。

キックを1拍・3拍、スネアを2拍・4拍(バックビートと呼ぶ)に入れるシンプルな基本のビートの事を海外では、マネー・ビート(Money-Beat)と呼んでいる。要するにお金を稼ぐビートだ。実際のセッションの現場では、ドラム・ソロじゃない限り、難解なフィル・インを5分間叩き続けることはほぼないであろう。

基本のビートをどれほど気持ち良く、そしてどれだけ楽曲に合うように叩けるかで、仕事をもらうことが出来る。アメリカでは、フィル・インはエクストラ・チップで、基本のビートは基本給だと、ミュージシャンの間でよく話をする。

~シンプルな8ビートであればあるほど、すごく過小評価されがちだ。シンプルで単純なビートに関しての世間の誤解は、未だに存在する~

あまりにもビートのパターンがシンプルだと周りから、「難解なことが出来ないから初心者ドラマーなのか」、「あまり上手くないのか」などと、聴き手から思われているかもしれないと不安になるドラマーもいる。

これらの思想は無駄で、無意味な心配であり、何よりも楽曲を表現する際のマイナス要素にしかならない。まずはこの邪念を体から除去しよう。なぜなら、これらの思想は大きな間違いだからだ。聴き手側にも、上記のような捉え方をする人間がいるなら、それは間違った捉え方だ。

ドラムセットプレイヤーの一番大事なタスク・・・それは、シングルストロークを誰よりも早く叩けるようになることじゃなく、高速ツーバスを誰よりも早く踏めるようになることじゃなく、そして難解なフィルインを毎4小節づつ叩けるようになることでもない。

~その楽曲に合う、正しいグルーヴを叩くこと~だ。

僕自身が一番最初に8ビートに違和感を感じたのは、ロサンゼルスでは初めての仕事でもある、TOP40バンドのショーだった。TOP40バンドとは、ビルボードランキングでその年に売れたベスト40位内の曲を演奏するバンドだ。何年度のランキング曲をやるかはそれぞれのバンドで異なり、場合によりけりだ。

とにかく海外では、日常生活の一部に音楽という要素が当たり前のように浸透している。ちょっとしたパーティーや結婚式はもちろん、クラブやバーやレストランのBGMなどとしてビッグバンド・ジャズ、またはTOP40などの踊りやすい音楽を演奏するプロのバンドを雇うのはかなり一般的だ。

こういった場で聴いてるお客さんたちはとにかく踊りたい、体を動かしたいわけだ。週末のクラブやバーでは、なおさらそういう野望を胸に抱いて来ている人は多い。

当時そんな事にも特に気付かずに、僕は与えられた音源と譜面で約40曲を覚え、一回のリハーサルのみで本番を迎えた。初めてのTOP40バンドのショーは、かなり大きなスポーツバーのようなところだった。週末の夜ということもあってかなりのお客さんがおり、バンドが演奏を始めるときにはもうすでにみんな酒がまわっていい感じになっていた。

カウントをして曲を始めた。そして・・・もう2小説目には気付いてしまった、感じてしまった。自分の8ビートの違和感を・・・

当時の自身の8ビートは、ただ単に譜面に書かれた音符をそのまま叩いただけだ。ハイハットが8分音符で、ハイハットと同時に1拍目・3拍目にキック、そして2拍目・4拍目にスネアを叩く。あくまで手足を組み合わせた単なるパターンを平然と叩いているだけ。

要するに、1拍・3拍でハイハットとキックが同時になり、2拍・4拍でハイハットとスネアが同時になり・・・という感じで、あくまで身体的な捉え方でしかなかった。

一見それが普通じゃないのか?と思うかもしれないが、これだと音楽の本質的な部分に欠けてしまっている。その欠けてるものが何かというと、音楽に必要不可欠な3大要素、踊り・表現・歌だ。

ハイハット、スネア、キックそれぞれに、何だかの感情を注入しなければいけない。この要素がないままビートを叩いてしまうと一切音楽にはならない。

そして、譜面上の音符を組み合わせて、その通り叩けても何も感じないし、おもしろくない・・・ 聴き手の体をもっと動かさせたい・・・ こういった気持ちがこのショーの瞬間からあまりに強くなってしまったため、一つ一つじっくりと研究してきて今に至る。もちろん練習は現在も進行形だ。

ここで、この3大要素によって~自分なりの8ビートを表現するために、ハイハット・スネア・キックをそれぞれどういう捉え方をして演奏しているか~をご説明したい。あくまで僕自身の場合である。人それぞれ感じ方は異なるので、是非自分なりの感じ方を見つけてみるとすごく楽しいに違いない。

 

8ビートでの3大パート、それぞれの役割

ハイハット(右利きの場合は右手) = 自分の感情が一番良く表れ、曲のフィールや表情を決める。もちろんタイム/テンポキープの要素もあるが、それ以上にハイハットで一番大事な要素は、~自分がどう踊っているか~。要するに踊りの部分が一番反映されるパートだ。

よって、ハイハットでその曲のテンポとフィールが決まり、キックとスネアはそのハイハット軸を基準に入ってくる。(何を基準にタイムを感じているか・・・は、人それぞれ異なるので、自分なりのタイムの感じ方を知ることが最重要である)

音色的には、どこの拍に/何打目に/どれくらい*Intensity(インテンシティー)*(以下参照) やアクセントをつけているのか。ダイナミックス(音量)はどれくらいか。表拍がどれくらい強かったり弱かったり、裏拍がどれくらい強かったり弱かったりするのか。全音フラットで一定の音色なのか。などなど・・・

これ以外にも言葉ではなんとも表現出来ないような叩き方もするであろう。

ハイハットを叩く時に、その曲の持つイメージや表情と、自分の感情との間で相互作用が起きることによって、表情がついた8ビートが生まれる。そして何よりも体の動き・・・体がどう踊っているかが、このハイハットと連動してくる。

そのため、ハイハットを叩く右手から右半身にかけての動きが基盤になって、その楽曲上での踊り方・体の動きが生まれていると言っても過言ではないと感じる。

日本では目にする場所が限られて分かりにくいかもしれない。ただ、ドラムを叩く時の体の動きは、アメリカでTop40バンドやビッグバンドなどのお客さんを踊らすことが目的のショーをやってる時に、目の前のお客さんの~踊り~を見ていたら、自然に体が動くようになった。

その楽曲での踊り方をイメージ出来れば、自然とハイハットから気持ち良くなり、すごくドライブし、ノリの良いビートを叩くことが出来る。音楽には必ずなんだかの踊りが存在する。その部分とすごく密接な関係にあるのが、ハイハット(右手/右利きの場合)だ。

スネア = 自分の気持ち良い*ポケット*(気持ち良い/絶妙な叩くタイミングのこと)「ポケットについて」のブログで詳細説明←(ここをクリック) に入れることだけに集中する。基本的にその曲の雰囲気に自分自身が入り込めていれば自然と曲に合うポケットに入るので、あえて意識的に早く叩いたり、遅く叩いたりしようとはしない。

スネアを叩くタイミングを意識し過ぎると、その楽曲に合うポケットに逆に入りづらくなってしまう。意識が強すぎると、意外とタイミングが早くなり過ぎたり、遅くなり過ぎたりと、自然じゃなくなってしまって気持ち良くなりづらいからだ。

もちろんスネアの正しい*Placement(プレイスメント)*(以下参照)、要するにクリックに対してジャストのタイミングを理解した上で、ポケットは感じることが出来る

唯一、スネアのタイミングに少々の調整をかける時がある。それは、シンガーの歌い方がタイムに対してかなりの度合いで、前のめり(ハシり気味)、または後ろ寄り(溜め気味)の時だ。要するにシンガーのタイム感の癖がすごく強い場合のシチュエーションだ。

僕の場合は、ライブなどでも限りなくシンガーを見ていたい。なぜなら、息を吸うタイミングを見ていれば、スネアがどのタイミングに入れば歌いやすいか感じられるからだ。そして自分自身も真似るように、そのシンガーと同じ息遣いをすれば、すごく良く絡むことが出来る。

当然、楽曲のイメージによって歌い手の人はあえて溜め気味にしてきたりもする。それにドラマーもついていくのか・・・ついて行かずにオンタイムで前気味にキープしていくのか・・・これはその時によりけりだが、大きく分けてこの2つの選択肢が存在する。楽曲のイメージに合う方を選びたい。

基本的にスネアはメロディーが存在する中で、都合のいいタイミングにハメる。ということは、自分自身も叩きながら何だかの歌を歌ってることになる。スネアは歌の部分とすごく関わりが深いパートだと感じている。

*ひとつ気を付けなければいけないことは、自分の中で感じてる気持ち良いポケットと実際に手が動いてる感覚には意外と誤差がある場合があるというところだ。その差をどれだけ埋めていけるかが、大事な練習課題のひとつだ。この場面でも、ロサンゼルスの師匠たち②グレッグ・ビソネット氏のブログでご説明している、セルフ・アナライジングの作業がかなり有効になる。

キック = 特に変な癖もなく、メトロノームに対してジャストにハマっているのが理想で、基本的に意識しない。上記のハイハットとスネアは、感情的に動くパートなので、常にタイムに波(ハシる要素やモタる要素)が生まれている。

そのため、グルーヴを叩く時の体の3大パート((右手、右足、左手(左足は空動きをする場合あり))の中でどこか一ヵ所は、完全ジャストにハマってないとタイムの基本軸がなくなり、タイム・キープが出来なくなってしまう。

キックはこの体の3大パートの中で唯一、ジャストのタイミングで、いい意味で個性がないほうがバランスを取りやすい。

もちろんキックを軸にタイムを感じる人もいるが、僕の場合はどうしても気持ち良くなれなかった。人によって感じ方は違うので、もちろんキックを軸に全体のタイムを感じても素敵だ。

例えば、Chris BottiやDavid Sanbornのドラマーでもお馴染み、Billy Kilson(ビリー・キルソン)氏は、「ロックやポップスなどでは、キックとスネアの2パートでタイムを感じ、ハイハットはお遊びの部分。ジャズ系では1番にライドシンバル、2番にハイハットという2パートでタイムを感じている」と、常に力説している。あくまで自分なりの感じ方を探ることが重要で、楽しみの一つでもある。

 

*Intensity(インテンシティー)* = 力強さ、強度、集約度、厚み、深く(感じること)、という意味合い。

・アクセント=音の大きさ / インテンシティー=音の強度、厚み(音圧)。

・アクセントはつけてなくても、その1打に全身全霊を集中させて大事に叩くイメージ。

・アクセントとはまったく違う表現法。海外では、音楽の場ですごく頻繁に使う言葉。

・フィール/タイム面のお話では、例えばタイムがLaid Backしてジャストより後ろにいつつ、バンド全体を引っ張る力も共存している状態であること。

 

*Placement(プレイスメント)* = 音符のハマる本来の正しい位置・タイミングのことを言う。基本的に前気味や後ろ気味などの個々のフィール・感覚的意味合いを指すことはない。当時よく、「3連符の3打目のPlacementがおかしい」、などと指摘されたことがある。これはただ単に、3連符の3打目を叩くタイミングそのものが、通常よりずれているという意味合いだ。自分なりのフィールを放出していく前に、まずクリックに対してジャストで、全ての音符を正しい位置(ある意味で個性のない)にハメることが重要になってくる。

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ドラム・音楽の中でのポケットについて

8ビートや16ビート(その他のグルーヴ・パターンも含む)などの、バックビート~2拍目と4拍目のスネア~を叩く時の、気持ち良い/絶妙なタイミングのことだ。

もちろんバックビート以外のフィルインなどでも同じくポケットというものは存在する。とにかくスパっとハマる気持ち良いタイミングが存在する。

そしてもちろん、人によってそのタイミングの感覚は違う。ただし、大多数の人間が気持ち良く感じるポケットは、大体以下の内容の枠内に収まっている。

メトロノームと演奏した時、2拍目、4拍目のスネアと共にメトロノーム音が聞こえなくなる/消し去られる、ジャストのタイミングがあり、このジャストのタイミングの0.01秒の中に、更に細かいポケット枠が存在し、この細かいポケット枠の後ろのあたりが、基本的に聴き手にも気持ち良く聞こえるポケットのようだ(あくまで一般的に)。

言葉で説明するとなんのこっちゃと思うかもしれないが、簡単に言うと、~メトロノームと噛み合うジャストのタイミング内の少し後ろのあたり~というイメージだ。

この、人によって異なってくるであろう、細かいポケット枠内でスネアを叩くタイミングこそ、打楽器は勿論のこと、音楽で一番重要な自分の個性となる。

これだけは強く言いたい・・・リズム感のない人間など存在しない。自分の体内に生まれつき備わっているタイム感やタイムの癖を片っ端まで理解しようと意識し、もし演奏時にバンドやメトロノームと不快なほど合わなければ、調整をしていくことで生まれつき備わっているリズム感/タイム感が洗練されていく。

リズム感に関しては、元々体内にあるものを調整していくという流れになる。

それでは、非常に感覚的要素が強い話になるが、人間の体内に元々眠っているリズム感/タイム感の覚醒方法を以下に書いてみた。

意識方法:

~メトロノームに対してジャストで叩く事が出来る上で、ポケットは生まれてくる~

まずは細かいことは考えず、8ビートの2拍目・4拍目のスネアを、メトロノームに対してジャストに叩けるように練習した上で、先ほど言った、ジャストの中の細かいポケット枠=ある程度クリック音が消えてくれる枠内で気持ち良いタイミングを探る。最初はなるべく遅いテンポでやった方が効率的。

*上記で書いた、細かいポケット枠を探る時に、もし自分でもどのタイミングが気持ち良いのか分からないなら、頭の中で、誰か好きな/気持ち良いと感じるドラマーのスネアのタイミングやグルーヴ感を集中して聴いてみよう。そして、ドン・タン・ドド・タン・・・などと、カウントではなくドラム音を口に出して歌い、その感じを真似してみる。

何となくまとまったら、実際に先ほど歌った感じを実際に叩いて再現してみる。そして、ある程度自分の中で気持ち良いタイミングで叩けているように感じたなら・・・ここからが本題になる。

果たして、ライブでのオーディエンス/聴き手や一緒に演奏してるバンドメンバーにも、自分が練習で感じた気持ち良いポケットの感覚通りに聞こえているのだろうか・・・また、体内で感じてるタイミング通りに叩けているのだろうか・・・

もしもそうじゃなかったら、自分だけ勝手に気持ち良いだけで、マスターベーションの公開発表になってしまう。ここで再度、グレッグ氏のブログでも紹介した、セルフ・アナライジング(自己分析・解析)の作業が非常に有効になってくる。

この時にやるセルフ・アナライジングでは主に、~自分のプレイを第3者として聞いた時に、体内で気持ち良いと感じたタイミングと、実際に叩いた出音のタイミングが一致しているか~である。体内時計と出音の感覚一致を目指す。僕自身も常にここを目指している。

最近日本でもドラムクリニックをやり、日本でも知られ始めた、Benny Greb(ベニー・グレブ)氏も、「自分の体内で気持ち良いと感じるポケットと、実際に叩いて出してる音とのタイミングの誤差を出来る限りなくすことが将来的なゴールだ」と、常に述べている。

現代の音楽ではだいたいの場面で、メトロノームに対して大きく前のめり気味や後ろ気味など、注文されることはかなり減ったと感じる。この先更にDTM等、コンピューター技術が発達していくだろうから、機械には表現出来ない、生の人間にしか出せない独特のタイミングやフィールなど、生身の体から出てくるおもしろいものはこれからも大事にしていきたい。

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